ヤクルト
日高 田舎の漁師町に「遊びは野球しかなかった」
松井「やめろ」と言うまで素振りを続ける練習男
地力でCS出場を確実にしたヤクルト。その立て役者の若きツバメが2人。派手ではないが、故障者の相次ぐチームを救ったのだ。
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3年目にようやくプロ初勝利をあげた4年目の左腕、日高亮(22)は今年、チームに欠かせない中継ぎ投手へと覚醒した。
日高は漁師の家庭に育っている。信号もないような田舎町で、本人いわく「遊びは野球しかない」という環境だった。そんな純朴な少年には笑顔が似合う。
「高校時代の監督から『ピンチになっても笑おう』と教わったそうです。笑顔を作れば肩の力が抜ける。マウンドで大崩れがなくなったのは、当時の教えを実践しているからだそうです」(スポーツ紙デスク)
目指すは第二の石井弘寿。マウンド度胸という点では、その資格をすでに持ち合わせているようだ。
打者でブレイクを果たしたのが、3年目の松井淳(24)。さらなる伸びしろを感じさせるバッティングは、豊富な練習量によって培われている。
松井は横浜商大高時代、「オーバーワーク伝説」を残している。03年夏、甲子園出場を決めた母校だが、甲子園への移動前日、松井は練習のしすぎでグラウンドで倒れてしまった。なんと、当時1年生の松井はベンチ入りのメンバーにも入っていないのに、チーム一の練習量をこなしていたのだ。金沢哲男監督は「こんなに練習する1年は初めて見た」と舌を巻いたという。プロに入ってからも“練習男〞は健在だ。
「ティーバッティングを3000球もすることがあるそうです。淡口コーチも『あいつはやめろと言うまで、ずっと素振りしている』と感心しきりでした。いきなりブレイクしたように見えますが、高校とプロで人一倍練習した成果が、一軍の舞台でようやく形となって表れたのでしょう」(スポーツライター)
松井は今日も猛練習に励んでいる。