鉄人の目にも涙─。9月12日の引退会見ではさまざまな思いが込み上げ、言葉を詰まらせるシーンも見せた。入団当時、ガリガリで非力だった金本知憲(44)は、いつしか名球会入りする大選手に。その21年間を間近で見た番記者たちが、数々の秘話を交えて惜別のメッセージを送る。
金本=アニキ。いつしかそんなキャラクターが定着し、風格が備わったのは、「弟分」新井貴浩(35)の存在があったから。広島時代、入団後の挨拶に来た新井に、
「ワレが新井か。かわいがったるわ、そのうち」
とスゴんだというのだから。だが、そんな金本ももちろん、最初からアニキだったわけではない。
91年にドラフト4位で広島入りしてからの約3年は、主に二軍暮らし。その頃から金本の面倒を見ていたのは、西山秀二氏(45)=現野球解説者=だった。広島担当A記者が回想する。
「金本が気を許す先輩は西山だけ。西山は当然、酒席二軍選手がおよそ飲みに行けないような高級クラブにも。まさにアニキと舎弟でしたね。金本が一軍に上がってからは、飲み代は割り勘にするとか、『たまには僕がオゴリます』と言うことも。今もその親密な上下関係は続いており、金本は西山の言うことだけは聞きます」まだ一軍に定着するかどうかの頃、愛媛県松山市でのオープン戦の練習中に足を捻挫した金本は、トレーナーに「出場は無理です」と答えた。ところが三村敏之監督(当時)を前にすると、つい「できます」と言ってしまう。先にトレーナーから報告を受けていた監督は
「やれるんなら最初から痛いなんて言うな。泳いで広島に帰れ!」と大激怒。失意の金本は、港に着いて海に飛び込もうとした瞬間、ふと思い出す。自分がカナヅチだったことを─。これもまた、アニキになる前の秘話である。
やがて頭角を現した金本は新井のアニキ分となり、4番を打つ主軸に成長した。転機が訪れたのは02年のオフ。阪神へのFA移籍である。実はこの決断が広島との関係をこじらせることとなる。
「資金力に乏しい広島は、FA宣言した選手を引き止めない方針です。その代わり、広島一筋で引退した選手はコーチにしたり、テレビ局やスポーツ紙に『こいつを解説者として採ってくれ』と頼み、仕事を斡旋してくれる。が、金本はオーナーと条件闘争でモメて出て行ってしまった。オーナーは『絶対に許さん。二度と戻さん!』と激怒し、目の黒いうちは金本は絶対に広島ではコーチや監督にはなれません」(広島担当B記者)
広島ファンは今も「裏切り者」と呼ぶそうで、
「引退報道のスポーツ紙全紙が、広島ではまるで売れなかった。関西では5割増し、関東でもずいぶん売り上げが伸びたというのに」(前出・A記者)
裏切り者のそしりを受けながら阪神の一員となった金本は、入団会見を終えたその夜、大阪・北新地のクラブへと繰り出した。居合わせた客が、その時の様子を語る。
「1人3万円ぐらいの店ですわ。金本の隣についたのは長身でノリのいいホステス。胸元パックリのセクシードレスを着て、飛び出さんばかりの巨乳やったなぁ。金本は『どれどれ』言いながらニヤついた顔で巨乳をツンツン。しまいには2回3回とモミモミしてましたな。ホステスは『スケベやなぁ』言うてましたが」
すっかりアニキらしい豪快さが板についていたのだった。