6月19日、米国のエリンヒルズで開催された全米オープンで2位タイ、世界ランキングでも日本男子歴代最高の2位に昇り詰めた、怪物・松山英樹。主戦場を米国に移して4季目の歴史的快挙を支えたのは、意外にも地道な下半身トレーニングだった。きたる全英オープンで、日本ゴルフ界の、そして松山自身の悲願でもある「海外メジャー制覇」は成るか!?
今季の海外4大メジャー第2戦「全米オープン」(1895年創設)最終日、テレビ解説者として現地入りしていた日本ゴルフツアー機構の青木功会長(74)は「プレーオフ、プレーオフ!」と、孫のような存在の松山英樹(24)の猛チャージにハシャいでいたという。民放局記者が振り返る。
「青木会長は37年前に帝王(ジャック・ニクラウス)と繰り広げた『バルタスロールの死闘』(全米オープン2位)を思い出しているようで、“サンデー・バック・ナイン(最終日の残り9ホール)の男”と呼ばれる松山の猛追に目を細めていた。この日も後半だけで5バーディーを記録し、18番はこの大会で冴え渡った完璧なアプローチからのバーディー・フィニッシュ。この時点で首位と1打差の12アンダー。松山がクラブハウスリーダーとして行方を見守る中、青木会長は興奮を隠せず、『プレーオフだろう』と親しい報道陣に同意を求めたり、『これで世界の松山だな』とご満悦でした」
結果は2位発進の米国のブルックス・ケプカ(27)が混戦を抜け出して16アンダーで初優勝を飾った。スポーツ紙デスクが話す。
「青木会長同様、82年の全英オープン4位で、日本プロゴルフ協会の倉本昌弘会長(61)も『勝てるかなと思った。世界の壁は厚い。次のメジャー大会が楽しみ』と称賛していた。先日引退した宮里藍は世界ランキング1位になりながらメジャー制覇に手が届かなかったが、松山は大丈夫でしょう。藍ちゃんはパワーゴルフへの時流に翻弄されたが、松山は体格でも飛距離でも見劣りしない。例えば、今の松山は4番アイアンならキャリーで240ヤード、9番アイアンでも190ヤードと、日本のプロと比べて格段のパワーを誇る」
最初のメジャー挑戦はアマ時代の11年4月の「マスターズ」で27位。この時は身長181センチで、体重は60キロ台だったという。前出・スポーツ紙デスクが続ける。
「3.11の東日本大震災で被災し、牛乳配達のボランティアをしながらのカップラーメン生活が影響した。その中で日本人初のベストアマに輝いた。しかし、『飛距離が足りない』と課題を口にすると同時に、体力不足を痛感していた。肉体的にも精神的にも疲労困憊し、手の甲が膨れ上がったりしてね。そこから肉体改造に取り組み、今では体重100キロ級で、みずから宣言していた『動けるデブ』に大変身を遂げた(笑)」
ゴルフの名門・東北福祉大学時代から見続けてきたゴルフジャーナリストの宮崎紘一氏もこう話す。
「学生時代はひょろひょろでした。ところが、今はすごい太腿をしている。聞けば、『(大腿部は)太くなればなるほどいい』と話してくれた。松山は決してマッチョじゃない。筋肉の鎧はゴルファーに必要ない。しっかりとした下半身を作り、体幹を鍛えて体の粘りを生かした柔らかなスイングを目指している」