銀座の街には古くから、「顔役」と呼ばれるような男が数多く存在した。“銀座の虎”の異名をとった町井久之を筆頭に、町井が経営した一流クラブ「シルクロード」でスカウトマンとして活躍した梅宮尚などがいる。
梅宮尚は俳優・梅宮辰夫のいとこで、やがて、系列の17軒のトップに立った。その名前に憧れ、銀座の門をくぐった黒服志望の若者も少なくない。
梅宮尚は故人となったが、この「シルクロード」の営業部長としてらつ腕を振るい、銀座の顔役として知られたのが天野憲治である。天野はのちに「バイカウント」という高級店をオープンさせ、絶頂期の銀座に君臨する。
今は引退している身だが、再び「みかじめ」が騒がれていることについて今回、久々に声を聞かせてくれた。
「店側が名前を出さないだけで、そういうカネを渡してきたところは昔も今もあるだろうな」
天野が「バイカウント」を立ち上げた時も、払えと言ってくる組員はいた。天野は、超一流店のプライドとして一切、応じなかった。
「一度言うことを聞いたら、何度でも続けて要求してくるから。うちは全部シャットアウトしていたけど、ある日、店の正面ドアに車ごと突っ込んできたなんてこともあったよ」
涼しい顔で天野は言うが、それだけ日本一の歓楽街には修羅場が限りなくあるということだろう。
さらに天野は、名物営業マンとしての立場からも「店を守る」ことに徹した。
「それこそ『アサヒ芸能』も店をよく取り上げてくれて、おかげで吉行淳之介さんや川上宗薫さんなど、いいお客さんが使ってくれた。こうした客層をPRするためにも、ゲスな三流女は使わなかった」
余談だが、天野はある日、テレビで活躍する歌手の顔を見て驚いた。かつて、自分の店でホステスとして働いていた女だったのだ。
「顔はきれいだったけど、その子は泥棒グセがあったんだ。店の慰安旅行でもずいぶんと盗まれていたようだし、その子が更衣室に行くだけで周りがイヤがっていた。お客にはモテていたけど、銀座で長続きはしなかったね」
銀座最年少ママとして騒がれた「クラブ順子」の田村順子は、若き日に名前を売るために雑誌でヌードを披露した。銀座の「クラブ姫」での成功を機に作詞家、作家として活躍した山口洋子もまた、女傑の1人である。
こうした栄華は、60年代の高度経済成長期に大きな変節を迎えた──。