奥澤健二が16歳で夜の世界に飛び込んだのは、東京五輪が開催された64年のこと。奥澤によれば、「みかじめ」という慣習が最もはびこったのは、この時代であるらしい。
「新しい店がオープンすると、そういう連中が『おい、誰に断って商売しているんだ?』とやって来る。それを無視すると、店に客として入ってはトラブルを重ねる。それに音を上げてというのもあるけど、地方からやって来るヤクザへの対抗手段としての『ケツ持ち』として払う場合もあった」
警察では「みかじめ」を「伝統的資金獲得犯罪」と呼ぶように、シノギとしての歴史は古い。奥澤によれば、その内訳は以下のようになる。
「月々の支払いに加えて、正月が近づくと『お供えの餅代』として5万円とか、飾り用の門松を買わされるというのはあった。逆に、映画などでよく出て来る『おしぼりの卸し』や『観葉植物のリース』なんかは銀座にはなく、渋谷や自由が丘とかの話だね」
奥澤が第一歩を刻んだ「高度経済成長期」も札束が乱れ飛んだが、自身が78坪もの大きな店を持つようになった80年代後半から90年代前半にかけての「バブル経済期」は、空前の活況を呈したと言う。
「ある有名な宅配業者のオーナーはクラブが大好きで、いつも5人くらい引き連れて来ては『まずナポレオンを10本空けろ』と言うんです。あの頃、ナポレオンは1本20万円くらいだったかな。それを女の子にバンバン飲ませて、余ったら家に持って帰れと言っていた」
さらに1本30万円というルイ13世は、メロンを2つに切り、くり抜いたところに注ぐのが銀座ルールだったという。
「銀座にはもう1つ、長年の慣習として、1本10万円以上のボトルだと、だいたい50%くらいの『サービスチャージ』というのが付く。テーブルチャージやサービス料とは別で、俺たちは『オバケ』と呼んでいるんだけど、これは説明が誰もできないんだ。まあ、こうしたことを飲み込まないと銀座では遊べないということだ」
奥澤らはバブルの時代を「銀座に大判小判がザクザク埋まっていた」と称する。実際、多額の現金が捨てられていたこともザラにあったし、奥澤自身も「飲み代で年に1億くらいは使った」と豪語する。
さて今回、逮捕された梅木らの手口は、あいさつ料の名目で月3万~5万円、客引きがいる店には1人につき5000円程度を支払わせていた。
一斉に摘発されたとはいえ、銀座が再び「金のなる木」となりつつある状態ゆえ、その“匂い”は消せないようだ。