先のコラムで夏の甲子園で優勝経験のある都道府県や準優勝止まりの都道府県について書いたが、この2つを合わせると39都道府県。あと8つの県が、決勝にいまだ進めずにいる。とはいえ、この8県のうち7県にはベスト4進出経験があるのだ。
その7県のうちの1県が岩手県だ。盛岡中(現・盛岡一)と花巻東が2度ずつの計4回。直近では13年95回大会での花巻東だ。続いて山形県。95年第77回大会で日大山形が県勢初のベスト4進出という快挙を成し遂げた。3県めは山梨県。直近の12年第94回大会を含む計3回。そのすべてが東海大甲府である。4県めは福井県。69年第51回大会での若狭、95年第77回大会での敦賀気比、翌96年第78回大会での福井商、そして直近に当たる14年第96回大会での敦賀気比と計4回。この時の敦賀気比は大阪桐蔭相手に初回いきなり5点を先制して主導権を握ったかに思えたが、2回裏までで5‐5の同点に追いつかれ、4回裏に一挙、5失点。これが大きく響き9‐15で敗退。惜しくも県勢初の夏の甲子園の決勝戦進出を逃すことになってしまった。5県めは島根県である。1917年第3回大会の杵築中(現・大社)、23年第9回大会の松江中(現・松江北)と戦前に2回。その後はベスト8には4回進出経験があるものの、準々決勝の壁にことごとく跳ね返され続けていた。だが、03年第85回大会で江の川(現・石見智翠館)が聖望学園(埼玉)に2‐1で勝利し、ついにその壁を突破。実に県勢80年ぶりのベスト4進出をみごとに果たしたのだった。そして6県めが長崎県である。52年第34回大会の長崎商、76年第58回大会の海星、そして07年の長崎日大と計3回。中でも76年の海星は“怪物サッシー”と呼ばれたエース・酒井圭一(元・ヤクルト)を擁して優勝候補の一角に数えられたが、関西の強豪・PL学園(大阪)の前に延長戦の末2‐3で惜敗。あと一歩のところで決勝戦進出を逃したのだ。
そして最後の7県めである。実はこの1県とさらに残った1県、つまり夏の甲子園史上、一度もベスト4経験がない県は、意外なつながりがある。その関係については次回、詳しく触れたい。
(高校野球評論家・上杉純也)