現在、岩手県の高校野球は花巻東と盛岡大附の2強時代に突入している。2008年から17年までの10年間、夏の甲子園出場回数は花巻東が4回、対する盛岡大附が5回とほぼ互角。この両校は12年から3年連続、岩手県予選決勝で顔を合わせており、この間は盛岡大附が2勝1敗と勝ち越した。今夏の岩手県予選決勝でも対戦し、今回は9回表に花巻東が鮮やかに逆転する展開で勝利。決勝戦での対戦成績を2勝2敗の五分に戻している。
まさにたがいに譲らないライバル関係が築かれているのだが、決勝戦で最初にこの両校が最初に激突した12年は、全国の高校野球ファンがある1人の選手に熱い視線を注いだ大会でもあった。その選手とは、現在、メジャーリーグでも二刀流の活躍を見せている大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)である。
この年、花巻東の絶対的エースとして高校3年生最後の夏を迎えていた大谷は県予選準決勝の一関学院戦でアマチュア野球史上初となる最速160キロを記録。日本全国の野球ファンの話題を独り占めしていた。
そのフィーバーぶりがどれほどだったかというと、この年の夏の選手権の閉会式で当時の高野連会長の口から、
「大谷くんを見たかった」
という“失言”が飛び出すほどだったと言えば、おわかりになるだろうか。つまり、この時の試合は“花巻東対盛岡大附の決勝戦”が注目なのではなく、準決勝で160キロを計測した大谷がこの決勝戦でさらに記録を更新するのか、三振をいくつ奪えるか、ということに全国の野球ファンの熱い目が注がれていたのである。
だが、一方の盛岡大附にも意地があった。甲子園に行くためには“怪物・大谷”を倒さなければならない。その準備を冬場から着々と進めていたのである。まずは大谷の力に負けないスピードとパワーをつけるためのウエイトトレーニング。さらに“大谷くん”と名付けた打撃マシン1台を160キロに設定して、その速さを体感させていった。
打てないまでも目と脳にその情報を伝えることが大切だと考えたのだ。この練習の効果はてきめんで、県大会直前にはレギュラー組は160キロの球速にほぼ慣れていたという。さらに当時の大谷は、まだ制球力に甘いところがあったので“低めは捨てる”という好投手攻略のセオリーを実戦した。当日の決勝戦、1‐0で迎えた3回表の盛岡大附の攻撃で4番の二橋大地がレフトポール際へ3ランを放ち、結果的にこれが決勝点となったが(ファウルかどうかの微妙な当たりでもあった)、二橋が打ったのはまさに大谷が投じた高めの球だった。打線全体でも9安打中4本が長打。冬場から鍛えに鍛え上げたバッティング技術でここに“打倒・大谷”を果たしたのである。
とはいえ、負けた大谷も盛岡大附打線から計15奪三振。“敗れてなお凄し”の印象を残して高校最後の夏を終えたのであった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=