東京完全撤退で復帰の未練を断ち切った
関係者との連絡がとだえ…
島田紳助が年老いた母親の面倒を見るために、大阪と京都を頻繁に往復していることを前号で書いた。
しかしその一方で、仕事の拠点として週の半分以上過ごしていた東京からは“完全撤退”し、以来、まったく寄りつこうとさえしていない。
「すでに東京のマンションも引き払って、かつての紳助ファミリーとも没交渉。まったく接点すらない。もう東京に戻ることはないでしょう」
と言うのは、吉本興業の関係者だ。それはなぜか。
「紳助さんは、昨年の引退会見の際、出演している番組には、事前に連絡をしてコトの経緯を説明していた。ところが、引退会見以降は在京のテレビ関係者からはまったく連絡がない。かろうじて、吉本を通じて問い合わせがあったぐらい。もともとテレビ局の関係者とはさほど親しくしなかったとはいえ、のちに紳助さんは飲み会の席で、『テレビ界にオレの居場所はないわ』とこぼしていたそうです」(前出・吉本関係者)
だが当時、渦中にあったテレビ業界にも言い分はある。民放のバラエティ番組の関係者は、“非公式”ながら、会社の上司からお達しが出ていたという。
「紳助さんとは、万が一も考え、直接連絡を取ることは慎むように‥‥」
その意味するところは、紳助が引退理由で明かした組織関係者との関係の深さを危惧してのものだった。
「記者会見では『(組織関係者とは)もう会っていない』の一点張りだったが、どこまで真実か、テレビ業界の人間も皆、半信半疑でした。そのため一斉に潮が引くように、紳助さんから離れていった」(前出・テレビ局関係者)
テレビ局の“紳助後”の動きはすばやかった。
「確かに紳助は数字を持っていましたが、同時に1本300万円以上と言われたギャラも破格だった。紳助の場合は単なる出演料だけでなく、紳助ファミリーと呼ばれたタレントのキャスティングも行うなど、企画料も込みのギャラだったので、自然と高くなる。ところが、例えば『何でも鑑定団』(テレビ東京系)のように今田耕司を代役で立ててみたところ、紳助よりも安いギャラで済んだうえに、数字がガタ落ちしたわけでもなかった。結局、トータルの制作費が浮いたわけで、むしろ好都合だったケースも少なくない」(放送作家)
実際、紳助ありきと見られていた「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)は毎回、週代わりの司会を立てたところ、視聴率はむしろアップした。「人生が変わる1分間の深イイ話」(日本テレビ系)も同様だった。
民放社員が、テレビ業界における「紳助の功罪」について解説する。
「紳助さんが引退して、視聴率がアップした番組は、軒並み“フォーマット”が完成しているものばかりだった。つまり紳助さんがいなくても番組の内容自体は、さほど変わらない。ところが、『クイズ!ヘキサゴンⅡ』(フジテレビ系)や『紳助社長のプロデュース大作戦』(TBS系)のような紳助さんありきの番組は皆、打ち切りになった。テレビ局は紳助さんが引退する数年前から、タレントパワーに頼る番組ではなく、番組の企画力で勝負する時代に変わりつつあった。それが紳助さんの引退で、テレビ業界全体が一気にフォーマット重視の番組制作に加速しました」
フォーマット重視とは、まさに「定番の企画」で確実に視聴率を取る番組のスタイルだ。くしくも、テレビ朝日が今年4月からの上半期で、59年の開局以来初めてプライム時間帯(午後7時~11時)の視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)で1位を獲得したのも偶然ではないという。
「もともとテレ朝は、紳助さんとは縁がないばかりか、視聴率を持っていると言われている大物タレントをキャスティングすることが、局のカラーや予算もあり難しかった。そこで、深夜帯に予算のかからないフォーマット重視の番組を次々と制作。それが視聴率を稼ぐと、プライムやゴールデンに投入し、次々と高視聴率を獲得してトップの座に躍り出たんです。もはやタレントパワー依存の番組作りは時代遅れなんです」(前出・民放関係者)
まさに盛者必衰の理を表すようだが、視聴率が取れる絶対的なタレントなどいないということに、制作者たちはようやく気づかされたのである。