20年近く弟子をやっていると、“殿、あれはいったい何だったんですか?”といった出来事の5つ、6つはあるものです。
19年ほど前、殿がいきなり、
「これからはあれだ。軍団も相撲みてーによ、番付制度を導入するぞ!」
と、大真面目に宣言されたことがありました。
殿が言うには、芸人の世界の不文律である“1日でも先に入ったものが年下であろうと先輩である”といった考えを廃止して、これからのたけし軍団は、殿が各自の実力を見定めた番付表を作り、その番付を絶対として、たとえ後輩であろうと番付が上なら「兄さん」と呼ばなくてはいけないという、完全実力主義に方向転換を図るというのです。
この時、弟子入り1年目の、番付とはほぼ無関係な位置にいたわたくしは〈でも相撲と違って“場所”があるわけでもないし、殿が決めるといったって、どうやって実力を見極めるんだ?〉と、単純な疑問を感じたのをよく覚えています。そして、この心配はすぐに的中しました。“オイラが番付を作る”と言った口も乾かぬうちに殿は、
「とりあえず番付はタカとダンカンで決めろよ」
と、番付作成を他人にまかせる意向を、実に屈託なく言い放ったのです。もちろん、その場にいた誰もが、“えっ! いきなり最初の話と違うじゃん!!”と思ったのは言うまでもありません。が、師匠が「ふたりに任せた」と言うのなら、それに従うしかなく、さっそく、タカさんとダンカンさんは番付作成に入ったのですが、そこはおふたりとも人間です。各自、“お気に入りの後輩”や“イマイチしっくりこない後輩”がいるわけで、おのずとおふたりの私情がかなり色濃く反映された番付が出来上がってしまったのです。
さすがにこれには、〈これじゃ、殿が初めに掲げた実力主義でも何でもねーじゃん!〉と、例によって解せない疑問を強く抱かせていただきました。
で、そんな番付をじっくり見ると、“それにしたって、これはないだろ”と思える箇所が──。それは、当時すでにレギュラーを抱え、しっかり売れていた浅草キッドの玉袋筋太郎さんが、なぜかまったく売れてないキャリア2年目の後輩より番付が下だったのです。
これは明らかにタカさんとダンカンさんの悪ノリです。が、殿はそんなツッコミだらけの番付をまじまじと見つめると、
「うん。なかなかいいな!」
と、満足気な感想を漏らしました。が、玉袋さんもすかさず、
「○○(後輩ね)兄さん、今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」と挨拶をし、楽屋は瞬時に、ドッと笑いに包まれたのです。結局、この“笑い”によって、番付は完全に“ギャグ”となってしまい、殿が掲げた“夢の番付構想”ははっきりと崩れたのでした。当たり前ですが、あの日以来、誰も番付のことを語る者はなく、今では完全になかったことに‥‥。殿、いったいあれは何だったのでしょうか?
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◆プロフィール アル北郷(ある・きたごう) 95年、ビートたけしに弟子入り。08年、「アキレスと亀」にて「東スポ映画大賞新人賞」受賞。現在、TBS系「新・情報7daysニュースキャスター」ブレーンなど多方面で活躍中。本連載の単行本「たけし金言集~あるいは資料として現代北野武秘語録」も絶賛発売中!