22本のヒットを打ちながら9安打の相手に負けたチームがある。そんな珍しい記録を残したチームは02年第84回大会に宮崎県代表として初出場を果たした日章学園だ。
2回戦からの登場となった日章は同じく初出場の興誠(現・浜松学院=静岡)と対戦。この試合、序盤から両チームが点を取り合う展開となった。日章は2本の本塁打を含む毎回安打と先発全員安打で再三の得点チャンスを作るが、併殺打、スクイズ失敗など拙攻の連続でチャンスにあと1本が出なかった。また、興誠守備陣の好捕もあって、結果13残塁を喫してしまう。
そして8‐8の同点で迎えた運命の9回表、興誠の攻撃。日章のマウンドには先発・片山文男(元・ヤクルトなど)をリリーフした小笠原ユキオが登っていたが、フォアボールから2アウト一、三塁のピンチを招き、最後は小笠原自身の暴投によりノーヒットで決勝点を献上してしまった。日章もその裏の攻撃で2本の長短打を放ち、ノーアウト一、三塁という一打同点、逆転サヨナラのチャンスを作ったが、次打者のスクイズが不運なピッチャーフライ併殺となって万事休す。
この年の日章学園は瀬間仲ノルベルト(元・中日)を筆頭にブラジルからの留学生3人を擁し、宮崎県大会5試合で38得点を叩き出した強打のチームだったが、細かい攻撃面と守備面でのミスが災いし、8‐9で敗戦の憂き目をみた。当然、負けた日章は、高校野球史上最多安打敗戦校となった。
余談だが、勝った興誠の中で注目したいのは、被安打22を浴びながら完投勝利を収めたエース・今泉投手のピッチング内容だ。何と9回完投で与えた四死球がわずか1だったのである。
22安打されたうえ、さらに四死球が絡んでいたら、8失点では収まらなかったに違いない。無駄なランナーを出さなかったことが興誠の最大の勝因だったと思われる。
さらに興誠打線も日章学園の片山&小笠原の両投手からもらった6四死球のランナーのうち4人を得点に結びつけていた。堅実な試合運びに徹した興誠に勝利の女神が微笑んだのは必然だったと言えよう。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=