長い歴史を数える夏の甲子園で長崎県と三重県の対決はわずか2回のみ。しかもその2回ともが同名の海星高校同士の対戦である。
1度目は72年第54回大会の初戦。2‐0で長崎の海星が勝利した。2回目はその17年後の89年第71回大会。この時は2回戦で対戦し、10‐2で三重海星がリベンジを果たした。余談だが、この対戦の時スコアボードの表示は長崎側が「長・海星」、三重側が「三・海星」となっていたほか、両校ともユニホームが異なるので試合中に特にハプニングはなかったのだが、困ったのが応援団。当時はまだ許されていた「○○倒せ~~」というコールで校名が使えないからだ。考えた挙げ句、校名ではなく県名でコールすることになったという。
ちなみに長崎の海星には他にもこんな偶然的な出来事がある。それは「夏の大会で2回、桐蔭学園(神奈川)と戦っているが、2回とも2回戦で対戦し、2回とも0‐6のスコアで敗れている」というもの。最初の対決は71年第53回大会。そして2回目が84年第66回大会。試合内容も、初回から9回まで小刻みに得点されての敗戦という、似たような展開だった。
さらに付け加えると夏の甲子園における長崎県と神奈川県の対決は他に、83年第65回大会での佐世保工対横浜商があるが、なんとこれも2回戦。しかも同じ0‐6のスコアで、これまた初回から小刻みに得点されるという試合展開で、佐世保工が敗れている。
(高校野球評論家・上杉純也)