円楽師匠が「頭痛薬」を飲みすぎて居眠り!
「大利打ち切られた喜は3問なのに2問で」
「おーい、山田くーん、座布団一枚」──誰もが一度は耳にしたとこのあるフレーズも、この人がいなければ誕生しなかった。現在56歳、座布団運び歴は28年。人生の半分を座布団運びとともに過ごした“山田くん”にとっての「笑点」とは?
──84年10月7日が座布団運びとしての初登場です。
「あ、そう? てことは、もう29年目に入ったんだね。自分でもビックリです。こんなに長く続けられるとは思わなかった。この仕事のオファーをもらった時は、仕事もほとんどなく、1度目の結婚に失敗して離婚して、慰謝料を払うために無一文になって、本当にどん底だったんですよ。そんな時に、それまで座布団運びを務めていた松崎真さんが体調不良で降板することになり、僕に声がかかった。
僕はその数年前に『笑点』の中の『ちびっ子大喜利』というコーナーに出ていて、声をかけてくれたのはその時のディレクター。うれしくて、迷うことなく『はい、やります!』って答えました。今までは大きい人だったから、今度は小さいヤツが運んだらおもしろいんじゃないかって思ったみたい」
──初出演の時の感想は?
「ちびっ子大喜利で何度も出ていた舞台だから『懐かしいところに帰ってきた』って感じでしたね。それより自己紹介がイヤで。(前任の)松崎さんは『手を上げて、横断歩道を渡りましょう。松崎真です』って決まり文句だったんです。ところが僕になったら『挨拶は自分で考えて笑わせろよ』ってことになった。『勉強しろ』と。
でも、話術の達人の師匠たちが全員挨拶してから僕の番なんですよ。言うことなんて何も残ってない。だから頭が真っ白になって、最初に言ったのは『暑いですね、山田隆夫です』でした(笑)」
──ウケました?
「いや、何か変なこと言うヤツだな、と思われたんじゃないですかね」
──それでも師匠たちと罵倒し合ったりして、山田さんなりの座布団運びのスタイルができていきます。
「最初は円楽師匠が『たまには山田くんも目立たせてあげようよ』って言ってくださったんです。『楽太郎もこんちゃん(林家こん平)も、山田くんの悪口をガンガン言って。で、言いすぎたら山田くんもやり返していいから』って。円楽師匠が笑点の司会になられて2〜3年の頃でした」
──円楽師匠に、ずいぶんかわいがられたんですね。
「ちびっ子大喜利の印象が強いから、師匠からするといつまでたっても子供なんですよ。50を越えても『山田くん』でしたからね」
──28年間で思い出に残るハプニングは?
「円楽師匠は頭痛持ちだったから、本番前にクスリを飲むんですね。それも、ちゃんと何錠って決められてるのに、勝手にそれ以上飲んじゃう。そのせいで眠くなるんでしょうね。本番中に急に静かになったと思ったら居眠りしてることがありました。大喜利では全部で3問あるんですが、2問しかやってないのに『笑点、今日はこれにておしまいです』って勝手に終わらせたり(笑)。『師匠、まだ残ってます!』って、みんな大慌てですよ。それも放送されたと思います」
──ハプニングも楽しんでしまうパワーが、番組が長く続く秘訣ですか?
「そうですね。それに本物の落語をやってるんですよ。例えば木久扇師匠が与太郎だったり、大喜利に出演している全員が落語に登場するキャラクターなんです。僕は『おい、あれ持って来い』って言われる定吉。それぞれの役割がしっかりしてるから、おもしろいんだと思います」
──もう少しで座布団運び役も30周年です。
「そうですね。でも、何も考えてないんです。今までどおり笑顔で、皆さんに感謝しながらやるだけ。それより、3年後には番組が50周年ですから。歌丸師匠には、それまで何としても生きていてもらわないと困りますね(笑)」