酒場で泥酔してケンカしただけならば、時に笑い話で済んだかもしれない。ところが、他の客に暴行を働いたうえ、後日、ヤクザまで送り込んだ──。自ら死を選ぶという最悪の結末を迎えた芸人は、大御所・西川きよしの愛弟子だった。
「吉本興業の芸人が亡くなっているのに、会社側はそれをマスコミに発表しようとしなかった。ちょっとややこしいことになっているので、ひっそりと葬られることになるのでは、と仲間内でささやかれています」
吉本興業に所属する、ある漫才師が声を潜めた。実は、この7月初旬にベテラン漫才師が人知れず亡くなっていたのである。
7月4日、吉本の重鎮芸人・西川きよし(71)の二番弟子にあたる西川まさと(50)=本名・進藤仁人=が帰らぬ人となった。9月1日現在に至るまで、吉本興業から死去の知らせは行われていない。
西川きよしの一番弟子が西川のりおで、まさとはその弟弟子になる。1984年にきよしの弟子になったまさとは、5年前まで「西川まさと・吉田かおり」という漫才コンビを約6年間組んでいた。
「男女漫才ではそこそこ売れていて、関西ローカルのテレビにも顔を見せていたんです」(まさとの友人)
ところが、相方の吉田は12年10月、45歳の若さで心不全に襲われ死去してしまう。前出の友人が明かす。
「独身だったまさとは、相方のかおりさんと夫婦のような関係でしたから、彼女が亡くなり、かなり落ち込んでしまいました。独身の一人暮らしなので生活費はそれほどかかりませんが、芸人は売れてナンボの世界ですから、人気コンビで活動できなくなったことは寂しかったのでしょう。ふだんは明るくて腰が低く、芸人仲間ともよく会っていました。ところが酒が入りだすと豹変し、『師匠は何も助けてくれない』とか『世間はお笑いを理解できていない』とボヤくこともしばしばでした。いい年をした大人が世間に評価されないのを師匠のせいにするのは筋が通っていませんが、目をかけてくれないきよしさんに対する不満を吐き出すこともあった」
相方が突然死したあと、まさとはピン芸人として活動。それでも思うようにうまくはいかず、芸人仲間と劇場でコントなどの活動を行っていたのである。
〈もうお終いや。これまでいろいろとありがとう〉
7月4日に、まさとは仲間の芸人たちにこのようなメールを送った。これに慌てた仲間が、まさとが一人住まいをしていた大阪市浪速区のマンションに駆けつけたところ、自室で亡くなっている姿を発見したというのだ。
親しい芸人が言う。
「傍らに睡眠薬があったそうです。普通、吉本の芸人が亡くなった場合は〈○○がお亡くなりになりました。通夜・葬儀は──〉というような一斉メールが流れることになっているのですが、会社側はそれもしませんでした。やはり、あの暴行事件が重荷になっていたのでしょうか‥‥」