テレビキャスターの発言が、取りざたされるようになったのは、久米宏の「ニュースステーション」以降のこと。久米は局アナ出身ながら、バラエティ番組の手法を盛り込み、一躍、時代の寵児となったが、同時にたびたび失言を指摘されることもあった。
そして、紳助に至っては、多少の軽はずみな発言も“芸人出身”というポジションがゆえに、許される側面があったことも否定できない。まさにキャスター紳助は、テレビ報道が過渡期を迎えていた時期に登場した“時代のあだ花”だったのかもしれない。
振り返れば、テレビ業界では一世を風靡していたタレントが不祥事や健康上の理由など、突然テレビ画面から姿を消すケースは過去にもたびたびあった。だが、今回の紳助引退の余波は思いのほか、少なかったのも皮肉と言えよう。芸能ジャーナリストの佐々木博之氏が語る。
「(紳助引退後の)変化は、ほとんど聞かれませんね。直後にあった『いなくなったら穴埋めはどうする』という声も、紳助さんに限らず、今までもそういうことはありました。例えば、大物芸人の横山やすしさんしかり。でも結局は、テレビの中のタレントが一人いなくなっただけで、代わりが必ず出て、大きな変化が起こることってないんですよ」
テレビ業界は“視聴率”という大きな渦に翻弄されながらも、常に次なるスターを求めている。しかし、その一方で、不要と見なされれば、すぐにお払い箱になる残酷さもまた秘めているのである。
結局、島田紳助とは何だったのか。碓井広義・上智大学教授の定義がどうやら当てはまりそうだ。
「芸人のステップアップの一つのモデルを体現した存在だったのではないでしょうか。ただのヤンキーの兄ちゃんが、笑いを武器に世間に打って出る。そして、つい最近もスギちゃんが高飛び込みでケガをしましたが、ああいった外ロケで体を張って笑いを取る芸人から、スタジオでVTRを見ながら笑ってられる芸人になり、次は、司会者としてそれを動かす存在、そして、そのさらに上に報道の世界があり、と。彼の好きな言葉が『天下を取る』だったことからもわかるように、成り上がり者の典型だった。才能はあったし、先を読む感覚もあった。ところが、『視聴率男』と呼ばれ、天下を取ったと思ったあたりから、裸の王様になってしまったということでしょう」
類いまれなるプロデュース力と天性の嗅覚で、テレビ業界の天下を取った島田紳助。その栄華もまた一瞬にして消え去った。