御用学者とは、政府におもねる学者とは言えないような人間を指す。しかし、もはや我が国の総理は、原子力政策に関しては「独裁者」となっている。そのため、御用学者の言い分すら届かない。あの班目でさえ、大飯原発に関して「ストレステストの一次評価だけでは不十分」と言っていた。その見解も無視して、野田佳彦は「私の責任で」と、再稼働を強行したのだ。
そもそも、11年12月に、野田が行った「収束宣言」さえもデタラメである。
「原子炉は冷温停止状態に至った」
「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断した」
野田は国民に向けて、こう発表した。だが「冷温停止」というのは、正常に運転されている原子炉が停止することだ。メルトダウンした原子炉が、「冷温停止」することなどありえない。そこで「状態」という言葉をつけ「冷温停止状態」という造語をしたのだ。
前述の広瀬隆氏のインタビューでは、80センチの不等沈下を起こしてガタガタになっている4号機に、ヒビが入って水が漏れだし、使用済み核燃料が乾ききって発火したら、手のつけようがなくなり、日本が壊滅するおそれさえあるのに‥‥。
こんな野田のふるまいに多くの市民が怒っている。それは、毎週金曜日の官邸前デモが今に至るまで続いていることからもわかる。
官邸前デモの代表者らと面談後も、野田には市民の声は音にしか聞こえていないのだろう。新たに発足した原子力規制委員会の委員長には田中俊一を任命した。田中は原子力委員会の委員長代理を務めた立派な、“原子力ムラ”の住人だ。国会の同意を得られる見込みがないため、閉会中に任命するという「独裁」を演じた。
そして、10月7日に、野田は防護服とマスクで身を固め4号機に入って視察した。わずか5分間だ。それは「収束」という自分の言葉さえ信じていないことの表れではないのか。「近いうちに解散」以上に「収束宣言」は信用できないのだ。
このように、原発事故の「A級戦犯」は、いまだ健在である。「タブーなき──」が入手困難な一冊となってしまった今、事故の反省をすることなく生きる彼らを監視するのは市民ひとりひとりの責務であるのだ。(文中一部敬称略・了)