福島第一原発事故の「A級戦犯」に対し、過激な断罪を繰り広げた書籍が新刊委託配本を拒否された。いわば“発禁”となった問題書の監修者がその内容を再現する。前回の東電幹部に引き続き、今回は“原子力ムラ”の言い分を垂れ流す御用学者と原子力政策に“独裁的手腕”を振るう政治家の罪を問う!
9月18日、原子力規制委員会の発足を前に、班目春樹が委員長を務める原子力安全委員会の最後の会合が開かれたその席上、「振り返れば反省点は多々ある」と、班目は述べた。だが、彼の罪は「反省」という言葉で帳消しにできるほど軽いものではない。
“発禁”となった「タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト」(鹿砦社刊)で、スタッフが班目の自宅で直撃取材を敢行した。
「東電からいくら金をもらったんですか」
との問いかけに、班目は冗談めかしてこう答えた。
「取材があるんなら、事務局を通してくださーい」
原発事故当時、班目は日本原子力界の権威として官邸に詰めていた。「爆発はない」と断言したあと、1号機の爆発が起きると「アチャー」という顔をし、両手で頭を覆って「ウワー」とうめいたという。
事故発生から現在まで、班目の態度に「反省」の2文字は見当たらない。
そして、彼にはお得意のセリフがある。
「この可能性がちょっとある、これもちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせたら、物なんて作れません。だからどっかで割り切るんです」
07年の浜岡原発運転差し止め訴訟での班目の発言だ。当時、裁判を傍聴した地元の女性はこう話す。
「まるで当事者意識のない発言でした。いや、『割り切る』のはおかしい。自動車メーカーだろうが、建設会社だろうが、安全性を割り切って作っているなんて言わないじゃないですか」
原子力安全委員会とは経産省などの行政機関から独立した中立的な立場で、原発の安全性を見極める組織であったはずだ。
ところが、その「割り切った」せいで、事故が起きた。こんなデタラメがまかり通っていたのだ。現在、班目は肩の荷が下りて、一息ついている。そんなことが許されるはずがない。
事故後の被曝対策で“活躍”した御用学者も同罪だ。
「放射線の影響は、実はニコニコ笑っている人には来ません。クヨクヨしている人に来ます」(11年3月21日の福島市内の講演)
とうてい学者とは思えない非科学的な発言でドギモを抜いたのは、長崎大学大学院教授から、事故後に福島県立医科大学特命教授となった山下俊一だ。現在は、県立医科大副学長であり、福島県放射線健康リスク管理アドバイザー、さらには県民の健康管理調査検討委員会の座長も務めている。
90年代には、山下はチェルノブイリ事故の健康調査を積極的に行った。そうした経歴から見れば、妥当な人選である。だが、彼は00年から原子力委員会のメンバーになっている“原子力ムラ”の住人でもあった。
山下は事故直後から11年4月にかけて福島県内で30回以上も講演を行い、「安全幻想」を振りまいた。11年6月には、福島大学の12人の准教授が山下の解任を求める要望書を福島県知事に提出。市民団体が行った署名運動は、福島県内で6607筆、全国で4万筆超を集めた。署名に応じた福島市内の主婦は言う。
「昨年の5月に、計画的避難区域に指定されてから、川俣町から福島市内に避難しました。うちには小学生の子供が2人いますが、最も放射能が飛び交っている頃に、山下さんの言葉を信じて普通に外で遊ばせていました。すぐに避難させるべきでした」