97年に設立された「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(通称「救う会」)代表の西岡力氏はこう語る。
「それまで、拉致被害者家族は『表立って運動すると被害者が殺されてしまうかもしれない、静かにしているのがいいことだ』と考える傾向にありました。しかし横田めぐみさんの拉致が明らかになり、『政府を信じて待っているだけでは解決しない』『世論を動かして政府を動かさなければいけない』と気づき、『救う会』『家族会』の設立につながったのです」
両会の活動に後押しされるかのように、拉致問題への政府対応は急速に前進する。会の設立から5年後の02年には小泉純一郎総理(当時)が訪朝し、日朝首脳会談が開かれた。結果、地村さん夫妻と蓮池薫さん夫妻、曽我ひとみさんの拉致被害者5人の帰国が実現する。
この喜ぶべき“成果”の裏には、小泉訪朝の「致命的ミス」も隠されていた。飯塚氏が打ち明ける。
「問題は、拉致被害者は5人だけではないにもかかわらず、『他の被害者はいない』という主張をうのみにして帰ってきたこと。その後の継続した協議ができなくなってしまった」
国内外で情報収集・発信活動を行う、「特定失踪者問題調査会」代表の荒木和博氏も、次のように指摘する。
「政府認定拉致被害者は17人とされていますが、少なく見積もっても100人以上はいる。警察庁が『拉致の可能性が否定されない特定失踪者』と発表している対象者にいたっては、12年の段階で868人に上ります。安倍総理は『拉致問題を最優先に取り組む』と公言していますが、現状、その意思が見えないのは非常に残念です」
これだけの“消えた日本人”がいる中、02年以後、帰国はおろか、生存が確認された例もなく、06年の松本京子さん(77年拉致、当時29歳)を最後に、誰も被害者認定すらされていない。前出の飯塚氏は憤りをあらわにする。
「どれだけ活動しても、まったく結果が出ない。それが非常に悔しくてしかたありません。『家族会』ができて20年ですが、20年、40年という話ではなく、我々には毎日毎日が『今日はどうなったかな』『明日はどうなるかな』という大切な節目なんです。この問題は絶対に風化させられないし、何があろうと活動は続けますが、被害者家族も高齢化が進んでいて、集会に参加できなくなってきている方もいます。このことを政府も議会もしっかり受け止めてほしい」
前出の西岡氏は、今を好機と捉えている。
「北朝鮮という国は、諸外国からの圧力がかかった状態でしか譲歩しない。日本はアメリカと協力し、核保有だけでなく拉致問題についても協議を進める必要がある。今が、小泉訪朝から15年たって初めて訪れたチャンスだと思っています」
最初の被害者・久米さんが存命ならば92歳。問題の解決へ残された時間はわずかしかない。