あの豊田真由子議員が職場復帰に動きだした。“パワハラ騒動”の事情聴取では被害届の内容を一部否定、月刊誌では告白記事で沈黙を破った。一方、主が不在の間に話題になったのは、政策秘書に就いた青森町議。「カツラ疑惑」に目を奪われる裏で、事務所“乗っ取り”を計画していたという。その真相を現役国会議員秘書が特別寄稿する!
「このハゲーーっ!」
政策秘書への暴言・暴行が「週刊新潮」で報じられてから、3カ月が経とうとしています。豊田真由子衆院議員(42)自身は、「週刊新潮」の発売日である6月22日に自民党に離党届を出したが、認められたのはそれから2カ月後の8月に入ってのことです。
それだけでもおかしな話ですが、9月中には公の場に姿を現し、記者会見を開いて議員活動を続ける意向を表明するとも伝えられ、呆れるしかありません。
現役の国会議員政策秘書として20年以上働いている私のところにも、パワハラ騒動が起きる以前から、豊田事務所は「秘書の墓場」だという悪評は届いていました。告発した元政策秘書のA氏だけではなく、豊田氏は、これまで在籍していた秘書たちに、
「こんなバカなお前を育てた両親はろくでもない」
「だからお前は結婚できないんだ」
などと、聞くに堪えない暴言を吐いて辞めさせています。永田町で秘書に暴言を吐く議員はいくらでもいますが、身内や結婚などを引き合いに出して罵倒するのは、豊田議員くらいのものだと思います。
そうした中、主のいない豊田事務所では「乗っ取り」とも言える出来事が起きていました。それが他ならぬ青森県板柳町の町議会議員・松森俊逸氏(61)の政策秘書への就任を巡る一件です。
8月9日、松森氏は板柳町役場で会見を開き、豊田氏の公設第1秘書を務めるB氏から頼まれ、6月30日付で政策秘書に就任したことを明らかにしています。この松森氏は、不自然なボリュームの髪型だけではなく、板柳町から豊田氏の事務所がある埼玉県新座市までは約550キロも離れていて、「兼職」ができるのか、物議を醸してきました。
板柳町議会では「辞職勧告」まで話し合われましたが、松森氏は勧告が出される寸前に政策秘書を辞職、町議の椅子はなんとか守りました。
とはいえ「解職届」は8月28日付で、9月1日に衆院事務局に提出したため、6月から9月までの4カ月分の給与を受け取るつもりかと問題になりましたね。
この一連の「兼業騒動」の背景には、B氏の存在が大きく影響していますが、実は、このB氏とは松森氏の妻なのです。
松森夫人は、第1秘書の立場を悪用して、豊田議員にも事務所のスタッフにも無断で夫を政策秘書にし、辞職させたのです。
このことは、豊田事務所のスタッフも認めている事実です。
豊田議員と連絡が取れない状態でなぜ松森氏が政策秘書になれたのか、豊田事務所のスタッフが議員課に確認したら、
「公設秘書が書類を揃えて持ってきたら、議員課としては議員の了承のもとに提出されたと受け止めるので受理する」
と説明されたそうです。