●ゲスト:音喜多 駿(おときた・しゅん) 1983年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ入社。化粧品ブランド「ゲラン」で営業・マーケティングに携わる。2013年、東京都議会議員選挙にみんなの党公認で出馬、初当選。17年1月、所属する会派「かがやけTokyo」が「都民ファーストの会 東京都議団」に名称を変更、幹事長に就任。同年7月、都議会議員選挙後の役員人事を受け、幹事長退任。同年10月、「小池百合子都知事の国政関与は政治姿勢として疑問がある」などと、上田令子都議とともに都民ファーストの会からの離党を表明。その後、会派「かがやけTokyo」を上田都議と2人で設立。ブロガー議員として、ネット・メディアで積極的な情報発信を行っている。著書に「ギャル男でもわかる政治の話」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、「東京都の闇を暴く」(新潮新書)がある。
「都民ファーストの会」幹事長を務め、小池百合子都知事の片腕として大きな注目を浴びた音喜多駿氏。小池知事への批判を強めて離党、その後も都議として活動するが、目の前には築地・豊洲問題など数多くの課題が。天才テリーは、自身が気になる疑問を容赦なく投げかけていく!
テリー 音喜多さんは若いのにしっかりと正論を語っている印象があって、あらためて都政について、いろいろとお聞きしたいんですよ。まず、都民ファーストの会を離党された時のことから話していただけますか。
音喜多 小池知事の公約の一丁目一番地は“情報公開”。「ブラックボックスの都議会自民党を倒して新しい都議会を作る」という思いに深く共感したからこそ応援していたのです。ところが、都知事になったあとも情報公開は不十分だし、私自身、言論統制みたいなものに縛りつけられることになりました。それはやはり公約違反ですから、離党に至ったわけです。
テリー 例えば、どんな情報が不十分だったんです?
音喜多 最もわかりやすいのは豊洲・築地の移転問題ですね。都議選前に突然「築地は守る。豊洲を生かす」と言ったわけですが、当時都議団の幹事長を務めていました私にも、事前には何の知らせもなかった。しかも後日の検証で、その意思決定のプロセスが書面で何も残っていない。小池知事が独断で決めていた、ということがわかってきたんです。
テリー まあ、独断といっても、誰かアドバイザーはいますよね。
音喜多 恐らく、今顧問を務めている方々──都民ファーストの事務総長になられた小島(敏郎)さんみたいな方々の影響力が強かったんだろうなと。ただ、やっぱり議会や審議会での議論を経て、「こう決定しました」と報告しないと。そもそも、石原慎太郎さんを百条委員会に呼び出して「なぜ豊洲だったのか、わからない」と責めたてた小池知事が、同じようなことをやってしまっているというのは、やはり看過できないですよ。
テリー 音喜多さんは小池知事の右腕的な存在だったじゃないですか。それでも、聞く耳を持ってくれなかったんですか。
音喜多 結局のところ、小池知事はイエスマンが欲しかったんだと思います。ですから、「早く豊洲に決めるべきだ」など忌憚なく意見を述べたり、メディアの取材などで踏み込んだ発言をしていた私を遠ざけたのだと思います。
テリー 豊洲に決めるべきも何も、それ以外に答えがないじゃないですか。
音喜多 基本的にはそうですよね。ですが去年、豊洲で環境基準超過のベンゼンが検出されて、世論が「とんでもない」とワッと沸いた頃、恐らく小池知事は、真剣に築地の再生を検討していたんです。一度決定したものをたやすく覆すことを、僕は非常にまずいと思ったわけです。ですが、やっぱり小池知事や側近の人たちからすると「我々の決めたことに口を出すな」ということだったんでしょうね。都議選が終わった直後、私は幹事長を更迭されて、言論統制の下に敷かれて、現場から遠ざけられてしまったということです。