昨年夏の選手権で惜しくも準優勝に終わった広陵(広島)。その広陵と戦前から広島県内で長きに渡ってライバル関係にあるのが古豪・広島商である。広陵は春優勝3回、準優勝3回で夏は優勝0の準優勝4回。これに対して広島商は、夏の優勝が歴代単独2位となる6回で準優勝1回。対する春は優勝準優勝各1回。夏に強いチームの典型的な例と言える。
そんな広島商が唯一、春の選抜で優勝を遂げたのが選抜4度目の出場となった1931年の第8回大会である。
実は広島商は、この大会の前年と前々年にあたる夏の甲子園で史上2校目となる夏連覇を達成していた。当時、無敵の強さを誇っていて大会前に監督の石本秀一(のちの広島東洋カープ初代監督)は「絶対に紫紺の大優勝旗を広島に持って帰る」と優勝宣言したほどだったという。
その原動力となったのが前年夏の優勝投手・灰山元治(広島カープ創設時の二軍コーチ)である。灰山は初戦で坂出商(香川)を相手に選抜史上初となるノーヒットノーランを達成し、4‐0で快勝。この試合ではショートを守っていた鶴岡一人(法大‐南海。のちに南海ホークスでは監督も務め、リーグ優勝11回。プロ野球史上最多の通算1773勝を誇る名将である)もファインプレーを連発し、灰山の快挙を演出している。続く準々決勝でも灰山の快腕は冴え、強豪の松山商(愛媛)を1安打に抑えて3‐0で連続完封。この試合、灰山は内角をえぐる速球、そして外角ギリギリを突く速球とカーブを巧みに使い分けて松山商打線を翻弄。8奪三振で優勝候補とされたチームのエースの貫禄を示している。
準決勝の八尾中(現・八尾=大阪)との試合でこそ、灰山は連戦の疲れから制球を乱してしまい10四球の大乱調。最終回に5失点を喫するなどして8失点するも、10‐8と辛うじて打ち勝ってついに決勝戦へと進出。こうして史上初の夏春連覇へと王手をかけたのである。
決勝戦の相手はのちにこの年の夏の大会から選手権3連覇を達成する中京商(現・中京大中京)。広島商は4回表に強攻策を実らせ、灰山みずからのタイムリー二塁打などで2点を先制。投げても前日の乱調から立ち直り、中京商打線をわずか4安打に抑えて完封。2‐0で春の選抜初優勝をものにすると同時に甲子園史上初の夏春連覇を達成したのだった。
なお、この時の選抜では優勝校への副賞としてアメリカ遠征の権利が与えられていた。これによって同年の夏の大会の広島商は主力不在のため、あっけなく予選で敗退。史上初の夏の選手権3連覇という偉業があっけなく散ってしまったのだった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=