ピコ太郎を世に送り出した古坂大魔王が大ブレイクしたのが16年夏。人気が大爆発する以前の13年5月に交際を開始したのが、妻でタレントの安枝瞳(29)だった。当時の状況を振り返る。
売れない芸人は経済面で逼迫していると思われがちですが、私が出会った頃にはもうすでに彼は、そんなにお金には困っていなかったと思います。当時から音楽プロデューサーとして楽曲を提供していましたし、テレビにも出演していました。お給料額を聞いたことはないですが、おつきあいした当時は都内の1DKに住んでいて、車も所有していたので。
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こう語るのは、週刊アサヒ芸能の表紙などでもおなじみの“やっさん”こと安枝瞳だ。彼女は昨年8月に「PPAP」が大ブレイクしたピコ太郎をプロデュースするお笑い芸人で、15歳年上の古坂大魔王と結婚。番組共演から4年3カ月の交際を経てのゴールインだった。
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もともと相手に稼ぎがなくても私が稼いで養えばいいと考えていたし、結婚してもネットのニュースにも載らないだろうと予想していた。だからこそ、あの大ブレイクにはお互いにビックリしました。周りの人も、宝くじの高額当選者になったかのように色めき立ってしまったんです。
身近な人が急にほめそやすようになったので、私は売れる前と態度を変えないよう意識していました。私まで平静さを失ったら、彼の心身ともに休める場所がどこにもなくなってしまう気がしたからです。
彼はテレビで見るとおりの礼儀正しい、対応が丁寧な人ですが、かなり繊細でもあります。ブレイク後、ネットで悪口を書かれて落ち込んでしまうこともありました。私は真逆で「書いてもらえるだけありがたい」と楽観的に捉えられるタイプ。沈み込んだ時は、「見ず知らずの人が言う悪口なんて、気にしなくてよくない?」と、今でも励ますことがあります。
繊細さは仕事にも表れていると思います。ピコ太郎さんの「PPAP」の動画を制作する過程をそばで見ていて感じました。自宅ではずっと同じフレーズが流れていて「この音じゃない」と、素人が聴いても把握できないレベルの細かな修整を、1人で1カ月以上も休むことなくコツコツと続けていました。
つきあい始めてから知りましたが、彼は飲み歩くことをあまり好まず、余暇は家でずっと音楽を作っています。「PPAP」で動画の編集を独学で始めて今はプロ並みに。撮影スタジオやヘアメイクさんの手配も全て自力で行いました。私の夢なんてちっぽけだと思うほど努力を重ねている人だからこそ、全力でサポートしたいと決意できたんです。
「PPAP」も含め、ネタに関して「どう思う?」と聞かれたら「大丈夫! 絶対におもしろいよ」と背中を押してあげられる言葉をかけるようにしています。自分より芸歴の浅い私に評価を求める時は、背中を押してもらいたい時だと思うので、とにかく励ましたい。私だけではなく、仲間の芸人さんの後押しも、彼の心の支えになっていたはずです。
家では、私は話の聞き役です。彼はテレビに向かって話しかけますし、「話を聞いてもらわないとネタ作りが進まない」と言って私にも話しかけます。常にしゃべっているので「忙しそうだな」と笑いをこらえつつ(笑)、これも妻の特権かなと。
健康的な食生活を送ってもらうことも役目の一つです。結婚するまで意識しませんでしたが、彼は私より15歳年上。今は海外に行く機会が増えて外食の頻度が高いので、家では煮魚やひじきの煮物といった和食を作るようにしています。
手料理を作って夫の帰りを待ちたいという気持ちは、私の家庭環境も影響していると思います。私は10歳の時に母を病気で亡くしました。父が男手一つで妹と私を育ててくれた記憶が残っているんです。
今年6月に生まれる子供のためにも、彼には楽しく長生きしてもらいたいです。