今大会で春の選抜初出場を果たし、大会6日目の第2試合に登場するおかやま山陽(岡山)。岡山県といえば春も夏も甲子園で優勝しているというイメージが薄いが、ただ一度だけ全国優勝したことがある。それが1965年第37回春の選抜での岡山東商だ。
この時の主力がのちに大洋ホエールズ(現・横浜DeNA)のエースとして18年間チームの屋台骨を支え、“巨人キラー”として名を馳せた平松政次。この平松擁する岡山東商は初戦でコザ(沖縄)と対戦。打線が11安打を放ち7得点すると平松もこれに応え、11奪三振の3安打完封勝ちを収める。一転して続く2回戦の明治(東京)戦は緊迫した投手戦となった。結局、0‐0の9回裏に1死二、三塁のチャンスからサヨナラ打が飛び出して1‐0での劇的勝利となったが、この試合でも平松の投球は快調で相手打線に3安打しか許さなかった。
準々決勝は猛打の静岡と対戦したが、平松のピッチングはさらに冴え渡り、被安打3、与四球1、奪三振9。味方打線も3回表に1点、6回表にも2点を取り援護。3‐0で快勝する。何と平松は3試合連続の完封劇を果たしたのだ。
準決勝の相手はこの大会、平松と並ぶ屈指の好投手といわれた利光高明(日本生命)擁する徳島商。戦前の予想通り、投手戦となったが、この試合も1‐0で辛勝を収める。決勝点となったのは4回表。4本のヒットを集めて奪った1点だった。平松は6回裏に1死満塁のピンチを迎えたものの、そこから三振とショートフライに打ち取ってピンチを脱出。結局、5安打8奪三振の完封勝利を挙げた。そしてこの完封によって平松は春の選抜史上4人目となる4試合連続完封勝利投手の仲間入りをしたのである。その内訳は被安打14、奪三振38、与四球4という申し分ない成績だった。
過去3人は決勝戦を含め最大4試合の時代の記録ゆえ平松が決勝戦で相手の初回の攻撃を無得点に抑えれば、その瞬間に無失点記録が樹立されるという意味でも、注目された決勝戦。相手は大会屈指の強打者と評価され、のちに阪神タイガースで首位打者を獲得する安打製造機・藤田平が好調な打線を引っ張る市和歌山商(現・市和歌山)であった。試合は3回裏に岡山東商がポテンヒットで1点を先制するも、4回表に平松が連続長短打を浴びついに失点。39回で無失点記録を止められてしまった。だが1‐1のまま突入した延長戦の13回裏。ランナー二塁のチャンスからタイムリーが飛び出し、劇的なサヨナラ勝ちで岡山東商が選抜初優勝を成し遂げたのであった。なお、注目された平松対藤田の一騎打ちの結果は6打数2安打。痛み分けに終わっている。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=