夏の甲子園で沖縄県代表が初めて全国制覇を成し遂げたのが、2010年の第92回大会である。それまでに春選抜での優勝は3回あったものの、夏の選手権では2年連続の準優勝が最高成績で、栄冠にあと一歩届かず涙を飲んできた。そんな沖縄県勢悲願の夏制覇を成し遂げたのが、同年春の選抜優勝校でもあった興南。史上6校目の春夏連覇達成というおまけ付きだったのだ。
優勝の原動力となったのが、左腕から野茂英雄(元・近鉄など)を彷佛とさせる投球フォームを繰り出し、“琉球トルネード”と呼ばれた島袋洋奨(福岡ソフトバンク)である。春の選抜優勝投手の左腕が沖縄県民の夢を叶えるべく、夏の聖地でも躍動したのだ。
初戦の鳴門(徳島)戦。島袋は7回を投げ被安打5、7奪三振。打線も15安打で9点を叩き出し、9‐0の大勝で優勝へ向けて好発進となった。続く2回戦も明徳義塾(高知)に8‐2で圧勝。島袋は被安打8ながらも12奪三振の力投だった。3回戦の仙台育英(宮城)との試合では序盤に奪った4点を島袋が被安打6、10奪三振の1失点完投で守り切り、4‐1で勝利。ついにベスト8へと進出する。
準々決勝では聖光学院(福島)に2回表に3点を先制され、この大会初めて追いかける展開となった。だが、相手の2年生エース・歳内宏明(阪神)を4回途中でKOし、結果的に10‐3で完勝。島袋は9安打こそ許したが8三振を奪い、3回以降は無得点に抑える力投ぶりだった。
いよいよ準決勝だが、決勝戦進出をかけて激突した報徳学園(兵庫)戦は思わぬ展開となった。
試合巧者の報徳は島袋の立ち上がりを突いた。1回、2回で3四死球に5本の長短打を集めて一挙に5点をリードしたのである。序盤の5点ビハインドはこの年の興南の甲子園での戦いでは初めての経験。焦ってもおかしくなかったが、当の興南ナインには、「島袋が5点で止めれば大丈夫」とまったく動じていなかった。そして反撃が始まる。5回表に3安打で3点を返すと、6回表にも2本のヒットで1得点。そして7回表には4本の長短打で2点を奪い、ついに逆転に成功したのだ。試合序盤に不調だった島袋も3回以降は140キロ台のストレートを中心にした投球で追加点を許さなかった。159球の熱投で被安打10、5四死球を与える苦しい投球ながら12三振を奪っての完投。6‐5の鮮やかな逆転勝利で興南はとうとう決勝戦へと駒を進めたのである。
沖縄県勢力悲願の夏の甲子園優勝まであと1勝。最後の相手は強豪・東海大相模(神奈川)となった。相手エースはプロ注目の一二三慎太(元・阪神)だったが、この大会ここまでの5試合で37点を叩き出した好調・興南打線がこの好投手に一気に襲い掛かった。4回裏に2死からの5連打を含む7本の長短打を集中して一挙に7点を奪ったのである。投げては島袋が序盤から変化球を主体に打たせて取る投球。要所では伸びのあるストレートも混ぜて被安打9ながら1失点で完投。13‐1と投打に東海大相模を圧倒し、見事、史上6校目の春夏連覇の偉業を達成したのである。それは同時に沖縄県民にとって長年の悲願が叶った瞬間でもあった。
試合終了後、その夢の実現を祝うかのように、甲子園を埋め尽くしたスタンドのどこからともなくウェーブが巻き起こった。それは三塁側スタンドに陣取った東海大相模の応援団も巻き込んでの一大ウェーブとなっていく。沖縄県勢初の夏の全国制覇達成を、聖地にいた観客全員が心から祝福した光景がそこにあった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=