春の選抜史上、1つの高校による最も多い優勝回数は4回。2校がタイ記録でトップに並んでいる。ともに愛知県の強豪・中京大中京と東邦だ。
中京大中京は夏の選手権も7回と単独最多優勝を誇っているが、東邦は夏の甲子園は準優勝が1回あるのみ。現在までに7度甲子園での決勝戦進出があるが、うち6度が春。まさに春に強い東邦だが、実は春の選抜で初出場初優勝を成し遂げた最初のチームでもある(第1回大会除く)。
1934年第11回大会でのこと。その時の校名はまだ東邦商だった。エースが立谷順一で主力打者が一塁手の村上一治(元・南海)。決勝戦では浪華商(現・大体大浪商=大阪)との対戦で、0‐0で突入した延長10回表に立谷がついに1点を許してしまったが、その裏、無死二、三塁から逆転サヨナラ打を放ったのがこの村上。サヨナラでの優勝決定もこの東邦が第1号であった。
2度目の優勝が39年第16回大会。この大会では打線が爆発し、優勝するまでの5試合で何と59得点をマークした。失点もわずかに5。投打で圧倒して文句のつけようのない優勝内容であった。なお、この大会で同校が記録した全5試合での73安打は、2011年第83回大会で東海大相模(神奈川)が74安打を記録するまで72年間破られることのなかった大記録だった。
そして3度目の優勝が1941年の第18回大会。戦前最後の大会である。エース・玉置玉一(元・阪神など)を中心としたチームで決勝戦は一宮中(現・一宮)との愛知県勢同士の対決を5‐2で制しての栄冠だった。
戦前に3度春の選抜で優勝を飾ったが、そこから4度目のVまでの道のりは遠く、何48年後の1989年第61回大会まで待たなければならなかった。この前年の選抜でも決勝戦に進出していたが、宇和島東(愛媛)の前に0‐6で完敗。その時のバッテリーである山田喜久夫(元・中日など)‐原浩高(青学大ー日本石油)が健在だったこともあり、順調に勝ち進み決勝戦へと進出。その対戦相手は上宮(大阪)。元木大介(元・読売)や種田仁(元・中日など)ら、のちに4人がプロ入りするスター軍団である。
試合は1‐1で突入した延長10回表に上宮に勝ち越しを許し、その裏の東邦の攻撃も2死無走者。もはやこれまでかと思われたがそこから四球、内野安打でつなぐ。そして3番・原の打席でドラマが起きた。中前安打でまず同点に。さらにこの一連のプレーの中で上宮内野陣が二、三塁間で大きく飛び出していた一塁走者を刺そうとした送球が乱れ、ボールが外野フェンスまで転々。その間にこの一塁走者が一気にホームまで返ってくる奇跡の大逆転サヨナラ勝ちを収めたのである。
春は優勝4回、準優勝が2回。春に強さを発揮する東邦だが、今大会はあっけなく初戦敗退。単独最多優勝は来年以降に持ち越しとなった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=