1976年の第48回春の選抜で初出場初優勝を達成した崇徳(広島)。春の選抜優勝校史上最強チームの候補として、間違いなくその名が挙がるチームである。
この時の崇徳には超高校級投手と騒がれた豪腕・黒田真二(元・ヤクルト)に山崎隆造(元・広島東洋)、小川達明(元・広島東洋など)、應武篤良(早大~新日鉄広畑。のちにあの斎藤佑樹の早大時代に野球部の監督を務めている)などスターぞろいの大型打線が自慢だった。
開幕試合となった初戦の高松商(香川)戦こそ、エース黒田の不調で8失点を喫したが、強力打線は13安打11得点で黒田を援護。乱打戦を制し、初戦を突破する。続く2回戦は大会屈指の左腕と評価され、初戦の糸魚川商工(現・糸魚川白嶺=新潟)戦でノーヒットノーランを達成した戸田秀明(日本楽器)を擁する鉾田一(茨城)と激突。試合は1回戦の不調から脱した黒田と戸田の投げ合いとなった。この戸田の前に初戦で13安打を放った崇徳打線は完全に沈黙。4回表には自慢のクリーンナップが三者連続三振に仕留められるほどだった。対する黒田も豪快な投球フォームから速球とカーブを低めに決めて7回まで鉾田一打線に1本のヒットも許さなかった。
0‐0の均衡が破れたのは8回裏だった。鉾田一はエースの戸田みずからがチーム初ヒットとなるライトオーバーの本塁打を放ち、1点を先制。迎えた9回表、崇徳の攻撃も2者連続三振に打ち取られ、これで勝負あったかと思われた。ところがここから2番打者の打った何でもないファーストゴロを一塁手がトンネル、続く3番・小川の遊ゴロもショートがコチコチになってしまい一歩も動けず、センター前へ。こうなるともう崇徳のものだった。畳み掛けるように4番・永田泰展が右中間へ逆転の三塁打を放ったのだ。さらに相手エラーもあって一挙に4点を奪取。土壇場で試合をひっくり返し、4‐1の逆転勝利を収めたのだった。
この勝利で勢いに乗ったチームは続く準々決勝で福井(現・福井工大福井)と対戦。打っては5回表に得意の集中打で3点を先取し、8回表にも1点を追加。一方の黒田も8回2死まで1人の走者も許さなかった。完全試合まであと4人というところまで迫ったところで中前安打を打たれ大記録は消えたものの、4‐0の完勝だった。準決勝の日田林工(大分)戦も好調な打線が11安打を放って3得点。エース・黒田も6安打1失点の完投勝ち。決勝戦へと進出することとなった。
迎えた決勝戦の相手は小山(栃木)。崇徳は5回裏に連続長短打で1点を先取。8回裏にも小川、應武の快打からさらに連打が続き4得点。投げても黒田が被安打3で完封し、5‐0で完勝。春の選抜初出場で初優勝の快挙をやってのけたのである。これは同時に1931年の広島商以来、45年ぶりの広島県勢の優勝でもあった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=