高校野球の県予選は、本大会の甲子園と違って大量得点差がついた場合、コールドゲームの規定が適用される。5回終了で10点差、7回終了で7点差などがあるが、県によってその規定は様々である。だが、コールドゲーム規定がなかったために、かつてある県の夏の予選でとんでもない事件が起きてしまった。
98年第80回大会。あの松坂大輔(中日)が横浜(神奈川)のエースとして劇的な春夏連覇を成し遂げた年だ。青森県大会2回戦(初戦)で東奥義塾と対戦した深浦(現・木造深浦)が、その主人公である。実はこの時の深浦ナインには正式な野球部員が10人しかおらず、しかも4人しか野球経験者がいなかった。そんな素人集団に、それまでに夏4回の甲子園出場経験を持つ県内きっての古豪が襲いかかったのだ。
先攻の東奥義塾は初回に何と延べ42人が打席に立ち、27安打で39点を挙げたのである。この間の攻撃時間は57分。さらに2回に10点、3回に11点、4回に17点、そして5回に16点。5回終了時のスコアは実に93‐0。
本来ならばコールドとなるが、この年の青森大会では5、6回でのコールド制がなかった。続行の有無は選手たちの判断に委ねられていたのである。当然、深浦の工藤慶憲監督はその意思を確認すると佐藤投手は「続けたいです」。角谷宗一主将も「観客が応援してくれている。やろう」。
対する東奥義塾の小野智嗣主将も「気を抜くのは失礼だと思った」。こうして試合は7回まで続行され、夏の大会では全国&地方大会を通じて初めて100点差以上の大台に乗る122‐0という史上空前のスコアが生まれたのである。
結果、7回コールドで勝った東奥義塾の打者成績は打者149人で7本塁打を含む86安打。四死球36、盗塁76、三振1。4番打者の珍田威臣は16打数14安打12打点。11打席連続安打にサイクルヒットを2回記録した。負けた深浦は打者25人がノーヒット。三振も16を数えた。試合時間は3時間47分。一塁側の深浦サイドに応援団の姿はなかったが、それでもスタンドの観戦者からは惜しみない拍手が送られたのだった。
ちなみにこの試合に勝利した東奥義塾も次の試合で、初戦を1点差で勝ってきたチーム・田名部に2‐14でコールド負けを喫している。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=