テリー プロフィールによると、大学生の時に「ミス浜松」のグランプリに選ばれているよね。やっぱり自分に自信があったんだ。
田中 これは副賞の車が欲しかったんです。母が乗っていた車を事故で壊してしまった時、友達が「ミス浜松」募集のチラシを持ってきて「これでグランプリを獲れば車がもらえるよ」と教えてくれたんですよ。
テリー その時、何人くらい応募があったの。
田中 恐らく数千人だったと思います。
テリー 結構な規模だね。そこでいきなりグランプリなんてことになったら、これはもう人生変わっちゃうでしょう。
田中 うちは父が教師で、すごく厳しいんです。その頃も毎日「学生の本分は学業だ。チヤホヤされて調子に乗るな」と言われ続けたので「芸能界に行こう!」みたいな、浮かれたことは考えられなかったんです。
テリー とはいえ、その2年後の「ミス・ユニバース・ジャパン2011」にも応募しているよね。
田中 世界大会に出られたら海外に行けるかな、と思ったからです。その時はもう二級建築士の資格を持っていて、大学卒業後は建築関係へ進んで外国でもお仕事をしたいという夢があったものですから、試しに行けたらいいな、と。結局は3位だったので行けなくて、諦めて就職活動を始めたんです。
テリー そこから、どうやってモデルの道に進むことになるの。
田中 ある企業の面接帰りに(東京の)表参道を歩いていたら、今の事務所のマネージャーさんに声をかけられたんですよ。「今、社長の時間が15分空いているから、面接していかないか?」って。
テリー 15分! また細かいねぇ(笑)。
田中 で、社長さんとお会いしたら「キミには光るものがあるから、もし上京できるなら女優のレッスンを受けてみないか。1週間でどうするか決めてきなさい」と言ってくださったので、二つ返事で「はい!」って答えたんですよ。
テリー えっ、だって就職のために東京に来ていたわけでしょう。しかも、お父さんは厳しいって話だし、それはもう絶対に許さないんじゃないの。
田中 そうなんです。父は芸能界に対する偏見がすごくて、「ふざけるなっ!」「地獄に落ちるぞ!」みたいな剣幕で怒られて(笑)。加えて、それまで実家暮らしだったので「お前が一人で暮らせるわけがない」とまで言われたり。
テリー で、1週間で説得できたの。
田中 できなかったので、本当に親不孝だなと思ったんですが、家出しちゃいました。父が学校へ行くのを「行ってらっしゃい」と見送ってから、荷物をトランクに詰めて。バイトの貯金しか持っていなくて、新幹線に乗るお金がもったいなくてバスで上京しました。
テリー 誰にも見送られずの、寂しい上京だったの?
田中 いえ、母だけには伝えましたね。「本当に行っちゃうの?」と、泣きながら見送ってくれて。
テリー そんな感じだと、上京後どうなるか、さぞかし不安だったでしょう。
田中 住むところも含めて何も決まらないまま出てきちゃったんですが、「とにかく上京すれば何とかなるだろう」と思っていたんですね。今考えると、相当に大胆ですよね(笑)。