現在、夏の甲子園は2015年から関東勢が3連覇を果たしている。先駆けとなったのは強豪・東海大相模(神奈川)。現在中日で活躍する左腕・小笠原慎之介が、投げては26回3分の1で23奪三振、防御率3.08。打っては決勝戦の仙台育英(宮城)戦の、同点の9回表に決勝点となる勝ち越しソロを放つなど投打に活躍。10‐6で勝利し、同校を夏の選手権2度目の優勝に導いたのである。実に45年ぶりの快挙であった。
そんな東海大相模の最初の夏の選手権制覇は70年第52回大会にまでさかのぼる。率いたのは名将と言われた原貢(読売ジャイアンツで選手・監督として活躍した原辰徳の実父)。この年の相模は右サイドハンドで、右打者の内角をシュートで突き、外角をカーブで攻めるという粘り強い投球が身上の上原広がエース。技巧派ということもあって、相手打線を完璧に封じるのは困難だった。そこで原監督が図ったのは打線の強化。打ち合いに持ち込んで勝つ作戦だった。とはいえ、同校は同年春の選抜で初戦敗退を喫していたこともあって、前評判はあまり高くなかった。
その夏の初戦も唐津商(佐賀)に5‐4での辛勝。しかもエース・上原とリリーフ・福島美夫が合わせて14四死球の乱調ぶりで大いに不安を残す結果となった。
続く準々決勝の滝川(兵庫)戦も序盤に失点を重ね3点差を追いかける展開に。終盤に6‐6の同点となり延長10回裏に7‐6でサヨナラ勝ちを収める激戦であった。
だが、この死闘を制したことで相模は波に乗った。準決勝の岐阜短大付(現・岐阜第一)戦は2‐2の同点のまま迎えた9回裏。この大会注目の左腕とされた湯口敏彦(元・読売)を攻め、無死満塁から2試合連続のサヨナラ劇。全試合接戦を制しての決勝戦進出となったのである。
決勝戦の相手は好投手・新美敏(元・広島東洋)を擁し、当時の甲子園では新興勢力的存在だったPL学園(大阪)。試合は3‐2と相模がリードして迎えた5回表に、一気に新美攻略に成功。3点を取り、6‐2と主導権を握る。さらに6回表と7回表にもそれぞれ2点ずつを追加。この後のPLの反撃を上原が4失点でしのいで10‐6と打ち勝ったのである。完投勝利の上原は被安打11、与四球10という、優勝投手としては珍しい記録を残すこととなった。
打力で圧倒した同校は4試合で25得点、失点18。それまでの高校野球は好投手で守りをしっかりと固めてバントやスクイズ、盗塁などで得点を重ねていく“甲子園戦法”が主流だった。だが、この時の相模は過去の優勝校では例のない“スクイズなし”。まさに型破りの優勝であった。なお、原監督はこの5年前にも無名の三池工(福岡)を率いて夏の選手権を制覇している。この時の相模の優勝で、史上初となる“異なる2校”での優勝監督に輝いたのであった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=