奈良県御所市に、創製は14世紀前半の元応年間(1319~1320)と言われる日本最古の胃腸薬がある。その名も三光丸。創製当初は「紫微垣丸(しびえんがん)」という名前だったのだが、建武3年(1336)に後醍醐天皇より「三光丸」の勅号を賜ったという。
同じく奈良で異彩を放つのが、ミミズの研究を50年以上続けるワキ製薬。漢方薬の材料として用いられる中国産のミミズ(地竜)を材料にした風邪薬「みみとん」は、昭和26年(1951)発売のロングセラーだ。
奈良と並ぶ古都京都にも伝統薬があった。亀田利三郎薬舗の「赤井筒薬 亀田六神丸」。通称「カメロクだ」。全国に100を超える六神丸が存在するが、その元祖と言われている。創業の由来を、同薬舗の亀田利一社長が解説する。
「六神丸はもともとは中国の薬で、カメロクの六神丸は雷氏方という処方に基づきます。創製は300年以上前の清の時代。亀田家は近江国の出身で、江戸元禄の頃に京都へ出て井筒屋利兵衛の名で商いを始めた。六代目利兵衛の長男・利三郎が中国へ渡った時に上海で病気になり、現地で入手した六神丸でたちまち快癒したんです」
これをきっかけに、亀田利三郎薬舗として輸入販売を始めたものの、成分にヒ素を含む鶏冠石があったため、明治32年(1899)に輸入禁止に。それを機に六神丸の国内生産に踏み切り、これが売れた。
「大正時代にスペイン風邪が大流行した際には問屋が店の前に並んで、できたばかりの六神丸を奪うように持ち帰るほどだったという逸話も」(亀田社長)
成分を見ればその効果も納得で、前述した熊胆をはじめ、朝鮮人参や真珠の粉末と、希少なものばかりだ。
「カメロクは原料が命。材料の質は守っていきます」(亀田社長)
ところ変わって、鹿児島県の南さつま市に、江戸時代から続く青木流芳院がある。漢方医だった創業者が創製した家伝薬「加世田血脳薬(かせだちのくすり)」を一子相伝で受け継いできた。十八代目当主の青木浩太郎氏が言う。
「天然由来の生薬が自然治癒力を高めるので、これまで他の医薬品で効果が感じられなかった方にお勧めです。今日まで青木流芳院が存続できたのは、優れた効果、200年以上の実績と自負しています」(青木氏)
肥後熊本も伝統薬の本場だ。急性・慢性の腎臓炎を効能にうたう「強腎仙」など、20種以上の和漢薬を製造しているのが、明治19年(1886)創業の渡部晴光堂だ。同社代表の渡部展也氏が言う。
「当社では薬以外の成分が入った錠剤ではなく、生薬成分100%の粉末にこだわって製品を提供していますが、これまで副作用は1件もありません。安心して服用していただけるという自信を持っています」
同じ熊本には「諸毒消丸」を製造する吉田松花堂もある。鍋島藩の御典医だった創業者・吉田順碩がシーボルトから西洋医学を学んで創製した薬で、180年ほどの歴史を持つ。動悸・息切れだけでなく、下痢・消化不良・胃腸虚弱にも効果がある。
佐賀県にある明治42年(1909)創業の天恵堂製薬が作るのが「腰専門」だ。効能をズバリ記したネーミングと実際の評判から愛用者は全国に広まり、東京の薬局でも売れているというから驚く。同社の眞崎嘉裕社長によれば、
「12種類の生薬を配合した『飲む腰痛薬』です。配合の妙に自信の薬です」
笹川氏は言う。
「秘薬・伝統薬は、現代の薬のような対症療法というより、弱った体を元から正す、健康を取り戻すという本来の意味で必要な存在。国の薬事行政や大手製薬メーカーの資本力に押されて消えていくのは残念でなりません」
小さい時におじいちゃんやおばあちゃんが勧めてくれた。そんな懐かしさや安心感に包まれる伝統薬は、いつまでも残っていてほしい。