たかじんは生前、彼流の言い回しで及川氏をたたえた。
「100年に1人とは言わん。でも10年に1人の作詞家に、俺は出会えたな」
そんなたかじんも64歳の若さで世を去ってから、4年がたった──。及川氏は感慨深げに回想する。
「早かったな‥‥。年齢的にもそうだけど、病気になってからが早かった。いつも夜中に酔っ払って電話をかけてきては『オレは頑張るんや!』って叫ぶの。『ハイハイ』って言ってあげて、そのうち電話自体もあまり取らないようにしてたけど」
たかじんの死後、及川氏は思いがけない騒動に巻き込まれた。たかじんの晩年の夫人との日々をつづった百田尚樹氏の著書「殉愛」を巡り、ツイッター上でバトルが始まる。
「私が書いた『エゴイズム』の歌詞が引用されていたんですよ。ところが百田氏は、肝心な最後の部分──つまり女の怖さをカットしているんです。そのことを指摘すると『この機に乗じて売名行為する作詞家』と。私のことを知っている人たちから総攻撃され、大炎上していました(笑)」
たかじんが生きていたら、「どアホ!」と一喝されるところだ。
及川氏にとって、もう1組、忘れられないのがWinkだ。今年8月4日、相田翔子(48)と鈴木早智子(49)の2人は、10年ぶりのステージに立った。NHK夏の風物詩「第50回思い出のメロディー」に出場し、デビュー30周年に花を添えたのである。
「まあ、声が(かつてのように)出ないのはしかたない。あの頃は何も考えず歌っているけど、今は感情が入ってくるから、歌は変わって当然」
Winkには水橋春夫氏という天才プロデューサーがいた。伝説のロックバンド「ザ・ジャックス」の一員であり、80年代には横浜銀蝿をブレイクさせている。
「Winkのチームでいうなら、水橋さんだけが天才。編曲の船山基紀さんや私は職人という感じかな」
水橋氏の哲学は「ヘンなモノじゃないと売れない、時代を変えられない」だった。例えば、大ヒットして平成最初(89年)の日本レコード大賞に輝いた「淋しい熱帯魚」がそうだ。
「私に対する(水橋氏の)詞の注文は『クルクルさせて』だったの。そこからカラオケの定番になった『ユラユラSwimmi’n』や『ユラユラDreami’n』の奇妙なサビにつながったんです」