聴けば誰もが口ずさめる多数のヒット曲を持ち、「最後の職業作詞家」と呼ばれる及川眠子氏。やしきたかじん、Wink、そして「新世紀エヴァンゲリオン」のテーマ曲など、今も耳にする機会は多い。個性豊かなアーティストたちを、さらに個性的なクリエーターはどう作詞に結びつけたのか!
稀代の毒舌タレントにして、関西のカリスマシンガー。やしきたかじんが食道ガンで急死したのは14年1月3日だった。
そのたかじんと深く関わった作詞家が、及川眠子(ねこ)氏(58)。先頃出版された及川氏の著書「ネコの手も貸したい」(リットーミュージック)には、彼女が手がけたヒット曲の作詞術とともに、たかじんら、アーティストたちとのエピソードがつづられている。
及川氏はこの「猛獣」とも呼ぶべき浪速の雄と、どう向き合ったのか。
「アルバムに何曲か提供していて、それをたかじんが気に入ってくれたみたい。最初の印象ですか? あんなパンチパーマのガラの悪いおじさんは嫌いですよ、と思いました(笑)」
及川氏が書いた何曲かを気に入ったたかじんは、シングル曲の詞を書いてほしいと申し入れる。これに及川氏は、きっぱりと注文をつけた。
「たかじんは大阪をテーマにした、ずっと同じテーマでやっていた。だから『私はあなたのご機嫌を取るつもりはなくて、あなたを売りたいの。それが嫌ならどうぞ、降ろしてください』と。私は彼を『全国区』にしたかった」
それまでのたかじんは「やっぱ好きやねん」や「あんた」など、大阪系の泣きのバラードが好評を博していた。それを及川氏は「2~3万枚のローカルヒット」と見なし、作曲家(川上明彦)も編曲家(川村栄二)もみずから連れてきた。
そして、たかじんの20枚目のシングルとして発売されたのが、「東京」(93年3月25日)。タイトルもそうだが、ピアノに始まるラテンのリズムも、これまでと一線を画していた。
「タイトルが『東京』でも、歌詞はやはり大阪弁だけど(笑)。大阪の人は『かまへん』って言うけど、そこは『かまわへん』にしたの。『わ』が入ることによって、たかじんも歌いやすくなったみたい。ただ、そのあとに『かまわへんよ』って『よ』が入っていたけど、これは『歌いにくかったら取ってええか』と言ってきた」
余談だが、たかじんはスタッフに「あの子は関西弁の使い方がうまいなぁ」と感心していたという。実は及川氏が和歌山市の出身であるということを、知らなかったらしいのだ。
さて、「東京」はちょうどたかじんの東京進出とも重なり、60万枚を売る最大のヒット曲となる。
「男の人がタンバリンを持って歌える歌が、敏いとうとハッピー&ブルーの『星降る街角』以来だったという説もあるわね。ただ、たかじんも新しい路線にいくことには不安もあったみたいで、その3カ月後の6月25日には、バラード調の『さよならが言えるまで』を準備させられましたけど」
たかじんの繊細な一面が見て取れるのだ。