「カズが39歳の時にキャンプ取材で会った際、『自分も40歳になっちゃいます』と言ってきたんです。それで『英国にはスタンリー・マシューズという50歳まで現役を続けた選手がいるんだから、カズも50歳まで目指しなよ』と返したら、『それはしんどい』と笑っていたんです。冗談半分だったのですが、まさか実現するとは思わなかった」
カズこと三浦知良との思い出をこう振り返るのは、サッカージャーナリストの六川亨氏である。
1月11日、J2の横浜FCはカズとの契約更新を発表した。このニュースは驚きとともに英国やスペインなど世界でも報じられる。
それもそのはず。2月で52歳を迎えて現役選手となれば、サラリーマンだったら10年以上前に定年退職して、再雇用された嘱託社員のような立場だ。ワールドカップ初出場を目指した同世代や後輩は一線を退き、監督業やフロント入りする中、なぜカズだけは現役主義を貫けるのか。まずは一般のサラリーマン生活と照らし合わせて、クラブチームでのサッカー人生を振り返りたい。
93年、カズが26歳の時に日本初のプロリーグ「Jリーグ」が開幕する。
「所属していたヴェルディ川崎は優勝候補の筆頭。サラリーマンなら大企業に所属する中堅社員みたいなもので、営業でメキメキと頭角を現し、トップセールスマンとして期待される存在でした」(サッカーライター)
開幕1年目からゴールを量産して数字を残し、チームを年間王者に導いてMVPも受賞すると、年俸は2億2000万円にアップした。94年7月には、イタリアのジェノアに移籍。いわば海外の企業からヘッドハンティングされた形だ。
ジェノアは1シーズンで“左遷”されてしまったが、古巣に戻ってくると、96年にJリーグ得点王を獲得する。しかし98年にチームが大幅な経営縮小を余儀なくされ、高給取りのカズはあおりを受けて、クロアチアのチームに移籍した。
「ケガも増えて体のキレもなく、衰えを感じさせました。結局、ノーゴールで戦力外になったのです」(前出・サッカーライター)
戦力規模では中小企業クラスの京都サンガに移籍したカズは、33歳の時に17得点を記録して復活。それでもチームはJ2に降格し、戦力外通告を突きつけられた。その後、年俸7000万円でヴィッセル神戸に移ったが、若手との争いに敗れてベンチスタートが増え、上司である監督の構想からも外れて閑職に追いやられると、05年夏、38歳で横浜FCに移籍する。
所属する13年間で、ゴール数は27点と物足りないが、いまだに会社から肩を叩かれていない。そこにある、ベテラン社員が管理職に上がらず現場主義にこだわって生き残るためのヒントを1月22日発売のアサヒ芸能1月31日号で詳報している──。