主役が輝くためには脇役の存在が不可欠だ。「作品をよりよいものに」──その一念で役者人生を全うするバイプレイヤーたち。一瞬のスポットライトに全てをかけるその生き様には、どのような哲学があるのか。名優たちがその矜持を語り尽くす。
17歳の時、関東最大の暴走族総長として2000人のトップに立った宇梶剛士(50)。少年院を退院後、母の紹介で錦野旦(64)の事務所で「手伝い」を始める。事務所のお使いで台本を取りに行った時、ある出会いが待っていた。
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そこで、菅原(文太・79)のおやっさんに、「お前は何だ」と、声をかけてもらって、「俳優になりたいのですが、どうやって芸能界に入ればいいのかわからないから、手伝いをさせてもらっています」と答えました。菅原のおやっさんは、その場でスタッフに命じて錦野さんの事務所に電話をさせ、「おたくのところの若い大きなヤツな、もらっていいか?」と話を通してくれました。こうして、役者の道に足を踏み入れることになったんです。
ところが来る役は、どれもチンピラの不良役ばかり(笑)。犯人役すら与えてもらえなかった。当時はわからなかったけど、自分の体からあふれ出ていたのは、そういう雰囲気だったのかな。不良をやめようと決意したからって、すぐ堅気になれるわけじゃない。暴力の雰囲気が体に染みつき、ナメられることのおびえがあったと思います。そういう人間には、そういう役が来ていたということなんでしょう。
それでも、当時、変なプライドだけは高くて小物に見られることが嫌でした。菅原のおやっさんの現場でエキストラが足りずスタッフがよかれと思って勧めてくれたのに、「僕はエキストラになるためにこの世界に入ったわけではありません」と断ったことがありました。今でこそ、エキストラの必要さがわかりますが、自分の視野が捉えていたのは、主役だけだった。
お手伝い時代にはもう一つ重要な出会いがありました。ある時、錦野さんのマネジャーに美輪明宏さん(77)を紹介してもらいました。真っ白なドレスを身にまとった美輪さんはいきなり、「あなた、暗い道を歩いてきたのね」と言いました。全て見透かされたようでドキッとしましたね。その後、美輪さんの助言で、渡辺えりさん(58)の劇団「3〇〇」で役者修業を積みました。
日常生活って表現にも大切なんです。例えば「楽しい」って感情は自分の感覚では、体の表面のように近いところにある。「悲しみ」とか「願い」みたいなものは心の奥にあって。そういう感情を日々の中で見つめて積み重ねていかないと、人前で表現はできないと思います。日常生活を通じて見つめていく生き方は、菅原のおやっさんや美輪さんから学ばせてもらいました。生きている一呼吸、一挙手一投足が自分を役者にしていくんです。
もう一つは、台本を読むこと。ただ字面を追うのではなく本当に「読む」。それが「演じる」という行為の始まりです。例えば悪役なら、なぜこの人は悪になったのか。その状況、背景を含めて悪とは何かを見つめていく。そういう下準備を経て共演者と顔を合わせ、現場で話し合いながら作っていくようにしています。
主役との距離感は常に考えています。舞台、映画、テレビドラマに限らず、全ての作品は模様だと思っています。自分はどの柄になり、線になり、色になるのか。物語の中で主役は光。輝く光もあれば、ぼんやりと温かい光もあり、どう縁取るのかっていうのは、主役を取り囲む脇役の役割。自分がやりすぎれば光がゆがんでしまったり、自分の存在が弱ければ、光が輝かなかったりするので、いつも物語の中心を見つめます。中心を見つめるには全体を見渡さないといけないから、居場所を考えながら立ち居振る舞いを表現して、作品を一緒に作り上げていくのです。
今後も主役をやりたい気持ちはありません。それは俺が決めることじゃないし。与えられた役に、いかに命を吹き込んで演じていけるかですね。
ただ、有名になりたいという気持ちはあります。ある時、施設にいる子供たちと会う機会があって、腕にしがみついて離れないくらい喜んでくれたんです。何でこんなおじさんに喜ぶのか考えたら、子供たちは俺の向こうに共演しているスターたちを想像していたんです。主役のスターと共演して有名になれば、子供たちに自分の存在を知ってもらえるし、もっと喜んでもらえる。ふだん寂しい思いとか、満たされてない、満ち足りていない人たちに、役とは別のところで喜んでもらえる人間になりたいなって、素朴に思ったんです。もちろん、今後も悪役だろうと、何でもやりますけどね。