メールには、極心連合会会長の橋本弘文との黒い交際が如実に表れている。たとえば05年6月10日のメールはこうだ。
〈こないだ会長の顔みて、ほっとしました。縁あって知り合い、ほんま心ある関係にさしてもらいうれしいです。会長に心配していましたと言う前に、紳助、心配しとったんやといわれました! すごい方ですね。ありがとうございます! 感謝です。二郎さんと(橋本)会長に守られていると思うと心強いです! これからもずーとがんばります ありがとうございます!〉
また、9月9日付メールには次のようにも書かれている。
〈(橋本会長は)ほんまええ人ですよね 熱い熱い人ですから 二郎さんがいて全て なりたってるんで感謝です! これからも よろしくお願いしますね〉
問題のメールは、山口組の宅見勝元若頭暗殺を機に、警察庁が展開していた山口組壊滅作戦の真っただ中の交信記録である。そこで大阪府警の祝井たちは、極心連合会の捜査を担った。そんな折の06年3月にも、紳助は渡辺へこうメッセージを送った。
〈会長心配です! ほんま警察むかつきますね! 昨夜山下頭の夢見ました。会われたらよろしくお伝えください〉(3月27日付)
そこからさらに11月、祝井たちは極心連合会に大掛かりな家宅捜索を行った。つまり、祝井たち大阪府警のマル暴刑事は紳助と山口組との関係をマークし続けてきた。
従って彼らにとって、メールにあるような紳助とヤクザとの交友そのものに驚きはないが、問題は発覚したタイミングだ。
何年も経ってメールが蒸し返され、紳助を芸能界引退に追い込んだことになる。なぜこの時期なのか、祝井はそこにいたく関心を寄せていた。
実はメールの交信記録は、渡辺が羽賀研二(51)とともに引き起こした別件の恐喝未遂事件の公判に提出されていた。それが何らかの形で吉本興業にもたらされた、と祝井たちは見る。
裁判は渡辺らに一審無罪、高裁で逆転有罪となる。メール記録の流出、さらに紳助の引退会見は、まさしくこの高裁判決の時期と重なるのである。そこに謎解きのヒントがあるかもしれない。
一方、大阪府警の祝井たちは、紳助と同じ吉本興業グループの漫才師、中田カウスの関係捜査もしてきた。吉本興業で権勢を振るってきたカウスに対し、創業一族の故・林マサが、カウスと山口組の関係などを暴露。それがきっかけで祝井らが捜査を始めたのだが、事件としては不発に終わる。
だが、一連の騒動により吉本興業内におけるカウスの影響力は失墜した。吉本の中で相対的に力を増したのが、島田紳助だともいわれた。
失意の中田カウスと人気絶頂の島田紳助。両者に何があったのか。拙著では、祝井たち捜査関係者だけでなく、吉本興業の内部証言から、その疑問点や内部事情をひも解いてみた。