今度のみずほ問題は、大きく2つある。1つは、ヤクザとの取引そのもの、およびそれを把握していながら何の対応策も講じなかったこと。もう1つは、業務改善命令があったあとのみずほの対応のお粗末さだ。
くだんの提携ローンは、銀行が半年に一度融資先に対して行う「属性確認」で判明したという。提携ローンでは、自動車ディーラーで中古車を買ってローンを組む際、信販会社のオリコが窓口として審査し、銀行が融資する。
みずほ銀行本体としては、自動車や家電の提携ローン取引がひと月に何万件もあるので、オリコがヤクザをスルーしてしまったことに気づかず、事後的に確認したが、融資契約を解除するまでの対策を講じなかったという。銀行として、問題を放置していた責任は感じるものの、取引窓口が見落としていたのだから、一義的には責任がない、と言わんばかりの弁明である。
だが、これはあまりの詭弁としか言いようがない。そもそもオリコとみずほは一体と考えていい。
周知のようにみずほフィナンシャルグループは、第一勧業銀行、日本興業銀行、富士銀行の大手3行が合併して誕生した。行内は出身銀行同士の派閥争いが絶えないといわれるが、取引先も色分けされてきた。
広島県の信販会社だったオリコは旧第一勧銀との関係が深く、幹部行員の天下り先となってきた。そのオリコは90年代末の金融危機以降の経営不振から2000年代に入ると倒産の危機を迎える。で、第一勧銀がテコ入れし、2010年に筆頭株主として事実上の銀行管理、みずほFGの傘下ノンバンクとなる。会計法上の持分法適用関連会社というれっきとしたグループ企業である。
第一勧銀の色が濃かったオリコは、ますますその色を深めていった。歴代の役員には旧第一勧銀出身者がずらりと並ぶ。今の西田宣正会長、齋藤雅之社長も、第一勧銀OBだ。
ちなみに第一勧銀といえば、97年の総会屋利益供与事件で会長だった宮崎邦次の自殺が金融界を震撼させた。事件で勇名を馳せたのは総会屋(当時)の小池隆一だが、もともと銀行はその兄貴分だった木島力也との縁が深い。
92年9月4日、病気療養中だった木島の快復を祝うため、築地の料亭「吉兆」で第一勧銀のトップ5人が宴を催した。快気祝いの主催者が、自殺した会長の宮崎をはじめ、頭取の奥田正司、そして副頭取の新井裕ほか5人だ。この時死期を察した木島が、みずからの後釜として小池を指名したことが、のちの総会屋事件につながったとされる。
第一勧銀は旧第一銀行と旧勧業銀行の合併行でもある。木島の祝いに参加した5人の中で、頭取の奥田は勧業出身、会長の宮崎と副頭取の新井は第一ラインと呼ばれ、直結していた。
実はその新井は、宮崎の死後、不動産会社を経由して経営不振に陥ったオリコに天下り、会長として経営の建て直しに奔走する。そうして第一勧銀、みずほとオリコとの首脳人事の交流が引き継がれていった。みずほがオリコと一体というのは、そんな人的、歴史的事実に根ざしている。
みずほは、この期におよんで経営陣の天下り先であるオリコの審査の甘さのせいにして言い逃れている。あまりに見苦しいというほかない。
くだんの取引は、バブル当時に流行った銀行による系列ノンバンクを経由した迂回融資と同じ構図といえる。時折、勘違いされるが、80年代後半から90年初頭にかけたバブル時代でも、銀行は表向きヤクザ絡みの融資はできなかった。そこで編み出した手法がひも付きの迂回融資だ。銀行がノンバンクに融資し、それを改めてヤクザの舎弟企業に回す。
たとえば、土地開発においてフロント企業が地上げを担う。その地上げ資金を融資するのがノンバンクであり、銀行はその融資原資を用立てるだけ。フロント企業への融資審査はあくまで系列ノンバンクが行うので、いざことが発覚しても銀行は知らなかった、で済むわけだ。
バブル当時、銀行はこの手で金融庁検査を難なく乗り切ってきた。そこでは、縦割り行政の弊害も利用された。銀行は金融庁所管だが、信販などのノンバンクは経産省の所管だ。仮に銀行とノンバンクがグルになって融資スキームを作っていても、行政のチェック体制が別々なので行き届かないのである。
◆プロフィール 森 功(もり・いさお) 1961年福岡県生まれ。「週刊新潮」編集部などを経てノンフィクションライターに。「ヤメ検」(新潮文庫)、「許永中」(講談社+α文庫)、「腐った翼」(幻冬舎)など著書多数