テリー テレビドラマ「風小僧」主演のあと、目黒さんはいったん役者を辞めますよね。何か理由があったんですか。
目黒 小学5~6年の時だったかな‥‥「普通の子供になりたい」と思ったんです。反抗期もあったんでしょうけど、クラスの友達に、自分が役者の息子でしかも映画にも出ているということが知られて、なんとなく関係がギクシャクしてきちゃったのが大きかったですね。そのあと、とにかく役者とはまったくかけ離れたことをやりたくなったんですよ。
テリー もしかして、海外留学されたのも、そんな理由から?
目黒 はい、16歳の時です。今考えると笑っちゃうんですけど‥‥外交官になりたいと思っていました。「外交官になるなら英語だ」って単純な発想でハワイの高校へね。また当時、僕らの仲間内で「誰が一番に留学するか」みたいなブームがあって、それに後押しされたところもありますね。
テリー ハワイを選んだのはどういう理由で。
目黒 ミッキー安川さんが自身の留学経験をまとめた「ふうらい坊留学記」という本を読んだら、アメリカでの生活が実に楽しそうに書かれていたから。でも実際に行ってみると、思い描いていた留学生活とだいぶ違うんですよね。
テリー やはり苦労は多かったですか。
目黒 最初の1~2年は、英語についていくだけでもう精いっぱい。生活様式も違いますし、もう覚えることだらけでまいりました。そんな中で、何かと自分がよく映画館に座っていることに気づいたんです。人気作はもちろん、日本ではまず封切られないようなC級・D級映画までくまなく見ていて。
テリー ああ、映画が目黒さんの救いになっていたんですね。
目黒 あらためて、自分はやっぱり映画が好きなんだな、ということを思い知らされた気がしました。それで、ボストン大学の演劇科に入ったんです。
テリー 本格的に演技の勉強をしようと。
目黒 そのつもりだったんですけど‥‥。もうその頃はアメリカ生活も4年半ぐらいになっていたので、ホームシックになってしまって大学を2年で中退して、日本に帰ってきちゃったんですよ。
テリー ハハハハ、せっかくの決意が台なしじゃないですか!
目黒 実にお恥ずかしい話で(苦笑)。帰国してから1年ぐらいプラプラしていたんですが、そんな時「留学中に書いていた日記を本にしないか」と声をかけていただきまして。
テリー ああ、ミッキーさんと同じような感じの。
目黒 そうです、当時は海外に行くこと自体が珍しかったですからね。それを書いている最中に、発足したばかりのCBSソニーレコードから歌手デビューすることが決まって、さらに松竹から映画主演の話が来たんです。
テリー 何ですか、その急転直下の展開は(笑)。
目黒 その頃は兄貴も役者でしたし、「近衛の息子で松方弘樹の弟が、最近帰国したから話題性があるぞ」みたいなことだったんでしょう。なにしろ親と兄貴の“十四光り”ですからね。
テリー 七光り×2ですか(笑)。確かに目黒さんは男前だけど、ここまでの話は恵まれすぎていますよね。
目黒 もう、親と兄貴に感謝するしかないですね。僕の力なんて何もないですから。今考えても、実にお恥ずかしい話ですよ。