「初めは野球選手になりたかったんだけど、中学入って、みんな体がでかくなる頃に、俺はそれほど身長が伸びなかったから『あっ、こりゃあダメだな』って思ってよ。まーそれが最初の挫折っていや~挫折だな」
以前、酒席にて、わたくしが唐突に、「殿にも挫折ってあったんですか?」と、かなり頭の悪い質問をした際、殿は“あれが挫折だったかな?”的ムードで、冒頭の話をしてくれたことがありました。
ちなみに殿は、そんな挫折が効いているのか、今でもプロ野球選手には、かなり年下の方にでも、思いっ切り敬語で接します。殿いわく「ダメなんだよな。いまだにプロ野球選手が来るとあがっちゃうんだよ」だそうです。で、やはりどうしても聞きたい「殿が芸人をやりだしてからの挫折は?」といった質問も、この時にあてると、
「漫才やりだした時は、もう圧倒的に俺のほうが面白いはずだと思ってたけど、やってみたら、これがまるっきり客が笑わないんだ。そこからしばらくは挫折っていうか、頭来て、腐ってたけどな」
ちなみに、この辺の“何をやってもうまくいかなかった時代”のお話は、殿の小説「漫才病棟」に克明に書いてありますので、ぜひ! で、そんな殿は、ネタの手ごたえを感じた時期の感覚を「自分の中でネタのレベルを少し落としてやってみたら、徐々にウケだしたんだよ」と回想していました。この“ネタのレベルを下げてやりだした時期”のことを殿は、ある雑誌のインタビューで「寿司屋が回転寿司をやりだした感じ」と例えていたこともありました。で、客にウケだしてからは、
「客の再教育じゃないけど、じゃんじゃんネタのレベルを上げていったら、ふだん演芸場に来ないような若い客が付き(ファンになり)だしたんだよ」
と。訳知り顔で言わせてもらえば、殿のやり方が時代とリンクした瞬間だったのでしょう。話を「挫折を脱した殿」に戻します。そこから先の、ツービートの快進撃伝説は、とにかく痛快で、殿の口から何度も聞いていますが、聞くたびに、本当にワクワクいたします。
「俺らが舞台に出ると、楽屋にいた芸人がみんな舞台の袖に、俺たちの漫才を見に来るから、俺たちがネタをやってる時は、演芸場の楽屋は誰もいなくなったんだから」
「漫才ブームがドカンと来て、前から決まってた○○さん(大物演歌歌手)との営業に行って、俺たちが先に出て漫才やったら、客がその後の○○さんの歌を聴かないで、ほとんど帰っちまったんだから」
自身の芸だけで、芸能の世界の階段を駆け上がっていった殿の話を聞くたびに思うのは〈そこから見える景色は、どんな景色だったのだろう?〉と。しつこいようですが、本当にワクワクいたします。そして、いつかわたくしも、何かしらの、はっきりとした快進撃を経験してみたいと、ずうずうしくも、心から願ってしまうのです。
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◆プロフィール アル北郷(ある・きたごう) 95年、ビートたけしに弟子入り。08年、「アキレスと亀」にて「東スポ映画大賞新人賞」受賞。現在、TBS系「新・情報7daysニュースキャスター」ブレーンなど多方面で活躍中。本連載の単行本「たけし金言集~あるいは資料として現代北野武秘語録」も絶賛発売中!