C.C.ガールズ、ギリギリガールズに続く「第三勢力」として91年にデビューしたT-BACKS。メンバーきってのダイナミックな肢体を持つ千葉一二三(48)が、当時の謎を明らかにする。
──メンバーのコスチュームがユニット名そのものというのは、今から考えると‥‥。
千葉 それはイヤでしたよ。しかも最初はストッキングなしで、ジーンズを切ったユニット名そのもののコスチュームで…。テレビで「見えてはいけないもの」が映らないかとヒヤヒヤでした(笑)。
──ちなみに、オリジナルメンバーはどういう形で集結を?
千葉 所属していた事務所で面接を受けて、最初は「お前は態度が悪い」って落とされたんですよ。でも結局、グループに入るという形になって「日焼けサロンに7時間こもって焼いてこい」って言われました。
──日焼けのイメージ狙いだったとはいえ、一歩間違えば今ならパワハラ発言だ。
千葉 私たちのマネージャーって、日焼け強要どころじゃなかったですよ。特に私に対しては灰皿を投げてきたり、革靴で弁慶の泣きどころを蹴ってきたこともありました。私、それで救急車で運ばれましたから。
──マネージャーがタレントを傷つけてどうする!
千葉 そうなんですよ、そんな感じだからメンバーの仲もギスギスしていました。
──あの時代の「フェロモングループあるある」だ(笑)。どんな感じに?
千葉 テレビの「女だらけの水泳大会」(フジテレビ系)に出させてもらったんですよ。そしたら私ともう1人のメンバーの化粧道具が隠され、衣装にも切れ目が入ってて。
──それは内部の犯行に違いないと。
千葉 他の人が立ち入れる場所じゃなかったですから。間違いなくメンバーの誰かが犯人で。
──さて、デビュー翌年の92年には、メンバーの1人が大麻取締法違反で逮捕という事件もあった。
千葉 いい感じできていたんですよね、テレビもCDも雑誌も。ところが、その事件で私たち、社長が持っていた軽井沢の別荘に1カ月も隔離されちゃって。
──マスコミの目を逃れるために?
千葉 そういうことです。どこにも遊びに行けなくて、厳しい食事制限とダンスレッスンと早寝早起きの毎日。ちっとも楽しくなくて、ますますメンバーの仲が悪くなるほど(笑)。
──バブル景気真っただ中で、遊びたい盛りだっただろうし。
千葉 そうですよ、できたばかりの「ジュリアナ東京」での仕事も多かったし。
──ちなみに、他のフェロモングループとの関係性はどんな感じだった?
千葉 あ、ギリギリガールズとは仲悪かった(笑)。お互い人数が多いせいもあって、局の廊下ですれ違うとにらみ合う感じ。危うくケンカになりそうな雰囲気でした。
──そして、94年にはT-BACKSが活動休止。その翌年にはソロでヘアヌード写真集も発売した。
千葉 ダマされたんですよ~。あくまでセミヌードって話でサイパンに行って、そしたらヘアヌードだと。私のパスポートも没収されていて、もう「わかりました」と言うしかなくて。
──後悔の思いが?
千葉 いや、でも今から思えば20代前半の若さで脱いで、それを写真集に残せたのはよかったのかな。
──その後は心霊関係の分野でも活躍。今、あらためて「フェロモングループの群雄割拠」に身を置いた時代を振り返ると‥‥。
千葉 常に「もっとエロく」「際どいとこまで」を要求されたけど、でも何でもありで、いい時代だったなと思います。
──男たちに与えた夢も計り知れず!