21世紀もプロレスは感動と悲鳴の連続だった。数え切れぬ名勝負があれば、予期せぬアクシデントもあった。あの衝撃バウトを振り返りたい。
新世紀が幕開けした01年、橋本真也(享年40)率いるゼロワンが、前年に三沢光晴(享年46)らが興したNOAHに続いて旗揚げ。時代が徐々に動きだしたプロレス界は、好調だったK-1とPRIDEのあおりを受けていたこともあり、各団体が生き残りをかけて競うように好カードを組んだ。
20世紀には夢のままだった旧・新日本の武藤敬司(50)、橋本、蝶野正洋(49)と三沢、小橋建太(46)ら旧・全日本トップの対決も実現。さらに佐々木健介(46)、鈴木みのる(44)、高山善廣(46)、秋山準、永田裕志(45)、藤田和之(42)、小川直也(45)といった大物たちが割って入った。
中でも大きな核となったのが、先頃引退した小橋だった。現役最古参プロレス記者の門馬忠雄氏は、近年で強く印象に残った名勝負として、小橋絡みの2試合を推す。1つは壮絶なチョップ合戦となった、健介戦(05年7/18東京ドーム)。もう1つは、その1年前(04年7/10)、NOAH東京ドーム初進出のメインで、“絶対王者”小橋が秋山を迎え撃った同門対決だ。「『(どちらの試合も)なぜ、そこまで己の身を犠牲にしてやるのか!?』と。健介も秋山も引かなかったけど、あれは小橋だからできた試合」
小橋に代表される極限まで肉体を駆使する闘いで、一時のNOAHは老舗・新日本を抜いて業界のトップに立つ勢いだった。
しかし、06年に小橋が腎臓ガンを発症。07年12月の小橋復帰戦はファンの感動を呼んだが、09年3月に日本テレビ系の地上波放映を打ち切られ、同年6月にはリング禍による三沢死去という痛ましい事故が起きてしまう。
「“極限の闘い”は何もNOAHだけの専売特許ではないです。高山が試合直後に昏倒した健介戦(04年8/8大阪)や、60分タイムアップ寸前に天山広吉(42)が戦闘不能に陥った小島聡(42)戦(05年2/20両国)、また葛西純(38)と伊東竜二(37)の『カミソリ十字架ボード・デスマッチ』(09年11/20後楽園)なども、まさしく命がけの激闘としてあげられるでしょう」(プロレスライター)
さて、盟主の座を奪われたかに思われた新日本だが、棚橋弘至、中邑真輔(33)ら新世代の台頭で巻き返す。
さらに衝撃的だったのが、オカダ・カズチカという新スターの誕生。IWGP王者として史上最多のV11を達成し、盤石の地位を築いたはずの棚橋をあざ笑うかのように、あっさりと初挑戦(12年2/12、大阪)でベルトを奪い取ってしまったのである。
今世紀初頭を牽引した小橋の引退で、またプロレス界は歴史の転換期を迎えた。すでに三沢、橋本はこの世を去り、武藤、蝶野らの現役生活にもゴールが見えてきた。それと同時に、プロレス復興は着々と進んでいる。新たな衝撃を生み出し、時代を制するのは誰か。