請求書がこれほど詳細な内容になったのは、作成に前出・樺島氏が関わったからではないだろうか。実は、樺島氏の法律事務所は橋下氏が97年に弁護士となった時に初めて勤務した事務所である。つまり、樺島氏と橋下氏は元「親弁」と「イソ弁(居候弁護士)」という関係にあるのだ。
「ウチの事務所にいた頃の橋下氏は、若手経営者などを事務所に招いて顧問先の開拓をしておりました。とにかく金になる仕事を探していたということです。結局、10カ月で辞めるのですが、それも彼から『共同事務所にしませんか』という提案がありまして、『それなら独立せえ』となったわけです。そりゃあ、生意気だとも思いましたが、そんなことは苦にしていませんでした。私自身も若い時分はずいぶん生意気でしたからね‥‥」(前出・樺島氏)
そんな樺島氏と橋下氏の関係が変化したのは、07年夏になってからのことだった。当時、タレント弁護士として活躍していた橋下氏は、その年の5月にテレビ番組で「光市母子殺人事件」の弁護団への懲戒請求を呼びかけ、各地の弁護士会に懲戒請求が殺到した。
「その弁護団21人の中に、私の最初のイソ弁だった弁護士の名前があったのです。橋下氏にしてみれば『兄弁』に当たる弁護士に対して、懲戒請求を呼びかけたことになる。古くさいとかヤクザみたいだと言われるかもしれませんが、あまりにも義理と人情に欠く行為に黙っていられなかったのです」(前出・樺島氏)
07年8月、大阪弁護士会で開かれた光市事件弁護団との討論会で樺島氏と橋下氏は顔を合わせたという。
「その場で、橋下氏はいろいろ質問していました。弁護団の弁護方針も知らずに懲戒請求を呼びかけたのかと愕然としました。そして、弁護方針に納得したようなことも口にしていた。なのに、翌日のブログに『この集会はカルト集団の自慰集会だね』と書いたのです。下世話な言い方になりますが、完全にトサカに来てしまった。その後も、橋下氏はテレビで万引き犯の弁護をした際に、『しょうゆ(のほう)から買い物カゴに入ってきた』という荒唐無稽な弁護をしたと話し、刑事裁判を侮辱するような発言を繰り返したのです」(前出・樺島氏)
そして、樺島氏は橋下氏への懲戒請求を求めた。府知事選に出馬する直前であり、政治的背景があるのではとの憶測も飛んだ。結果、橋下氏は10年に業務停止2カ月の処分を受けている。その後、大阪市長、国政政党代表となった現在、2度目の懲戒請求の中心的役割を樺島氏が担っている。しかし、樺島氏に政治的な思惑などなく、あるのは弁護士としての矜持だけなのだ。
「多数決で生じたひずみを是正するのが司法の重要な役割です。そういう観点から弁護士の役割として、少数者、弱者の人権を擁護することが、その使命だと思っています。橋下氏はそれとは逆の方向を向いている。これは弁護士として致命的な欠陥と言わざるをえません」(前出・樺島氏)