●ゲスト:麿赤兒(まろ・あかじ) 1943年、奈良県出身。65年、唐十郎の劇団「状況劇場」に参画。唐の「特権的肉体論」を具現化する役者として、60~70年代の演劇界に大きな変革と多大な影響を及ぼす。66年、舞踏の創始者である土方巽に師事。72年、舞踏集団「大駱駝艦」旗揚げ。“天賦典式”と名付けた様式は、国内外で話題となり、「BUTOH」を世界に浸透させる。また、多くのドラマや映画にも出演し、独特の存在感を放つ役者としても活躍。10月スタートのフジテレビ系ドラマ「ルパンの娘」の続編に出演。日本経済新聞・木曜日「プロムナード」にてエッセイ連載中。大駱駝艦・天賦典式の公式YouTubeチャンネル「こと問はず舞いそれ答えずしてをどる」も開設された。
10月スタートのドラマ「ルパンの娘」続編をはじめ、多くのドラマや映画に出演する一方、舞踏集団「大駱駝艦」を主宰する舞踏家として活動する麿赤兒。唐十郎と出会い「状況劇場」に参加した当時の記憶から、息子である大森立嗣と大森南朋の子育て秘話までを語り尽くした。
テリー 僕にとって麿さんはドラマや映画でおなじみの役者さんなんですけど、舞踏家でもいらっしゃるわけですよね。
麿 そうですね、一応。武闘家ではないです(笑)。
テリー 役者と舞踏家って似て非なるものですよね。
麿 で見世物ですから。おもしろければ何でもいいんですよ。
テリー 舞踏ってダンスや舞踊とも全然違うじゃないですか。例えば、日本舞踊なら基礎や型がありますけど、麿さんが主宰する「大駱駝艦(だいらくだかん)」のような舞踏は、どう振り付けるんですか。
麿 舞踏というのは、そういうカテゴリーからはみ出て、由緒がないところから始まってるんですね。で、むしろその由緒がないところを目指そうと。ただ、そうすると、どうしていいかわかんないんですよ。だから「みんなそれぞれに何らかの才能がある。20歳なら20歳の作品だから、立っていれば体は語る!」なんて、インチキみたいな理屈をこねましてね。「大駱駝艦」はそういうところから始めてるんです。
テリー そうか。「何もしないで立ってるだけでも作品だ」と。
麿 そうですね。だけど、「つっ立ってるだけじゃアレだから、ちょっと何かしてみろや」と。で、「こうしたらおもしろいんじゃないか」と、手探りで30年、40年やってきたら、それなりのメソッドみたいなものが少しずつできてきまして。それで何とか今に至るという感じです。
テリー 大駱駝艦を作ったのは、もう48年前ですか。
麿 僕はその前、唐(十郎)の「状況劇場」にいましてね。そこをやめたら、若い連中が「どうするんですか」「何かやりましょう」って言うんです。僕はその時、「まぁ、待て。事を急くな」と大石内蔵助みたいに言ったんですけどね。
テリー アハハハ。
麿 そうしたら当時、うちの稽古場に遊びに来て、ゴロゴロしてるのがいましてね。ある時、みんなで裸で「ばぁ~」と重なって寝ているのをみて、「これ、おもしろいなぁ」と。
テリー ダラ~ンと寝てるのがおもしろかったんだ。
麿 そうそう。で、「ここへバッハの曲でもジャジャーンとかけりゃあ、もっといいぞ」と。そうすると、見てくれる人は、いろいろ考えてくれますからね。「これはひとつの愚者のナントカだ」とか(笑)。
テリー 確かに。「深い何かがあるに違いない」って思いますね。
麿 でしょう? 皆さん僕らより頭いいですし、一応「あれは芸術だ」っていうことになってますから。
テリー でも、もちろん何かメッセージはあるわけですよね、世界平和とか。
麿 いやいや、それは全然ないですね。そりゃあ、今でこそ思いますよ。「踊りは何のためにあるんだ。平和のためだ」とかね。でも、当時は、「何かおもしろいことをやりたい」だけでね。
テリー そうなんですか。
麿 そうですよ。自分を正当化しようと思って、わけのわかんない論理を言い始めたのは最近ですよね(笑)。