日本のミリオンセラー史において、10代の少女が作詞作曲した初めての快挙が「あなた」(73年)だった。歌った小坂明子(63)は、神曲の意外な真実を語った。
──このところ話題になっているのは、宮本浩次が「あなた」をカバーし、NHKでオンエアされたこと。
小坂 あの曲は60人以上もカバーされていますが、彼のは鳥肌が立ちました。完全にオリジナルにしていて、間違いなくナンバーワンだと思います。
──大絶賛ですね。
小坂 私は椎名林檎さんに歌っていただきたいと思っていたんですが、宮本さんも同じように唯一無二の世界観を持つ方。今までの方は私の原曲を意識しすぎていらしたのが、まったくもって自分自身の「あなた」にされていました。11月にはカバーアルバムを出されるそうですが、その1曲目に「あなた」を選んでいただいたのも光栄です。
──160万枚を売り上げたレコードの発売が73年12月で、当時は大阪の音大付属高校に通う女子高生。
小坂 これが処女作だったんです。ピアノ科だったので曲はいろいろ作っていましたが、作詞を含めては初めてで。
──「愛する人と小さな家を建てて、坊やとささやかな幸せを」と思われがちですが、決してそうではなく、悲しみの歌ですよね。
小坂 そうなんです、アタマの「もしも私が家を建てたなら」は過去進行形なのですが、一部で「過去進行形は日本にはない」と叩かれました。歌に対して、なんと夢のない大人が多いんだなと思いました(笑)。
──この時代の歌は、ほとんどがラブソングでした。
小坂 直接的に「愛している」とか「好きだ」という表現が氾濫していて、そうじゃない歌詞を書きたかったんです。
──それが「古い暖炉」や「大きな窓と小さなドアー」につながったんですね。ちなみに、モデルはいたんでしょうか。
小坂 はい‥‥いました。1つ上の先輩で、お茶飲んで美術館に行くような淡い恋です。ところが、先輩が高校を卒業したら地元を離れると言うんです。私に「もっと好きにならないうちに別れよう」と、私の16歳の誕生日に言われまして(笑)。歌詞の「白いパンジー」は彼の好きな花で「真赤なバラ」は私の好きな花でした。
──さりげなく「痛み」を込めたわけですね。そして73年11月に開催された「世界歌謡祭」でグランプリを獲得。12月21日にはシングルとして発売。
小坂 火がつくのは早かったですね。発売から10日で10万枚を突破しました。
──まだ関西在住の高校生でしたから、突然の大ヒットは大変だったのでは。
小坂 学校が終わると新幹線で東京に行ってテレビのお仕事。帰りは夜行に乗って、翌日、学校が終わるとマネージャーが校門の前に待っている生活でした。
──移動も含めて激務でしたね。
小坂 ところが、あっという間に14キロも太ったんです(笑)。移動ばかりで運動不足になり、ホテル食やレコード会社の接待が続いたせいでしょうね。
──74年には紅白歌合戦にも初出場。しかも音楽家である父・小坂務氏が指揮者となり、紅白初の親子共演でもありました。
小坂 あの年の紅組司会者だった佐良直美さんのアイデアだったそうです。いい思い出になりました。
──さて近年は作曲家としての活動のほか、「のんのんじゃんるプロジェクト」を立ち上げて、ボイストレーニングなど指導されているとか。
小坂 6年になりますね。小学生からプロになりたい方まで、直接のレッスンもありますので、関心ありましたらぜひ!