証言者の氏名や生年月日が不正確で、「河野談話」の信憑性が疑わしく、元慰安婦の聞き取り調査が、記録として不完全だと産経新聞の記事は強調したいのでしょう。しかし、「意に反して連れていかれたのが一人もいなかった」ことを証明してもいないのです。
宮沢内閣の時「従軍慰安婦の実態を調べてほしい」と、韓国側から要請を受けました。外務省など関係機関を通して調査をすると、その時に出てきた資料の中に、慰安所の存在を前提とした文章が出てきました。それに基づいて、戦時下に日本が慰安所運営と一定の関わりを持ったことを認め、92年、加藤紘一官房長官談話(「加藤談話」)という形で発表しました。
ところが、韓国側は「慰安婦を強制的に連行した」と主張し、再度調査を求めてきました。しかし、調べてみても、当時の軍部が強制的に彼女たちを連行したり、指示した資料は出てこなかった。それを韓国側に伝えたのですが、それでは問題を解決できないとして、慰安婦とされた人たちの証言を聞いてほしいと要請されました。
宮沢内閣の内部で議論した結果、日韓の将来のために、元慰安婦の証言を聞くことにしました。『反日運動をやっておらず、政治的な問題を抜きにして、真実を語ってくれる人』を対象に証言者を選んでもらうことを韓国側に伝えました。
韓国側は16人の元慰安婦を選び、日本側の担当官がソウルで聞き取り調査をしました。私は証言者のデータの信憑性とか、正確性を調べる立場ではなく、報告書は見ていません。担当官の報告を聞いて総合判断したら、本人の意思に反して慰安婦とされた人がいることは否定できないという結論に至り、「河野談話」で強制連行を認めました。
当時の韓国政府は、彼女たちの名誉はこれで回復され、慰安婦問題はこれで決着として、矛を収めたわけです。それでも納得のいかなかった元慰安婦の一部の人たちが、日本政府への直接の謝罪、賠償を求めるなど運動は続いていましたが‥‥。「河野談話」は日韓の未来志向のために発表し、その後、細川、羽田、村山内閣時も、両国間でこの問題が取り上げられることは、まったくなかったのです。
ところが、一昨年、韓国憲法裁が「政府が元従軍慰安婦の人たちの謝罪と損害賠償を日本政府に認めるよう交渉しないのは違憲」だと判断しました。元従軍慰安婦の問題が浮き彫りになったのは、この影響だと思います。その判決を受けて、当時の李明博大統領から「日本政府に対してこの問題でもう一回交渉したい」と意思表示がありました。日本側は対応せず、その姿勢に反発し、竹島に上陸したりして、急速に日韓関係は悪くなっていったのです。