テリー 奥さんとはいつ、どこで出会ったんですか。
原田 大学時代です。僕は明治大学の法学部で、彼女は文学部で。
テリー あ、同級生?
原田 ちょうど僕らが大学に入った翌年が東京オリンピックだったんですよ。で、「これからはもうグローバリゼーションの世の中で、英語がしゃべれなかったらどうしようもないぞ」っていうことで、英語部に入ってね。「グローバリゼーションってなんだ?」っていう話なんですけど。
テリー 全然わかんないですよね。
原田 うん(笑)。でも、当時の明治大学の英語部は、僕が1年の時に1年生が600人もいましてね。僕が2年生になった時に勧誘した1年生は800人。そんな時代だったんですよ。
テリー すごいなぁ。で、その英語部に奥さんがいたの?
原田 そう。で、英語部で英語劇をやることになって、彼女が主役で、僕がその相手役だったんです。
テリー いいですねぇ、青春だ。
原田 でも、英語劇が終わってから「付き合ってくれ」って言ったら、「いや、あなたはタイプじゃない」とか言われて。それはもう稽古の6カ月間、ずっと自分を出しっぱなしだったからムリもないんだけど。
テリー やっかいな男だと思われたんでしょうね。「これは付き合ってもロクなことないな」って。
原田 演出家ともケンカするしね。演出家に「時間がかかるから、大二郎、お前のこのセリフはカットだ」とか言われて、「なんでだよ。これ、いちばん大事なセリフじゃないか!」とか食ってかかったりしてね。
テリー のちのGメンの降板劇を示唆するような出来事ですね。
原田 そうそう。我ながらよく77年も自分と付き合ってきたと思いますよ。
テリー 原田さんは真っ直ぐな人だからね。そういえば、もう10年ぐらい前だと思いますけど、参院選にも当時の民主党から出馬してますもんね。
原田 そうですね。それまでも何度か自民党から誘いは来てたんですけど、当時の僕はどうも自民党は利権にまみれてる感じがしていて、全部断ってたんですよ。そしたら民主党から出ないかって話が来て。菅直人さんなんかは、うちの近所に住んでたからずっと見てたし、個人的には民主党に親近感があったんですよ。だから、出ることにしたんですけどね。
テリー 個人的には政治家の原田さんも見てみたいですけどね。
原田 いやぁ、でも政界に入ってたら、とっくに折れてると思いますね。世の中って自分の思うようには変わってくれないから。
テリー まぁ、それをやりたければ県知事とかですよね。衆議院や参議院の議員は組織の1人だから。
原田 駒だからね。それでも選挙が始まったら、すぐに(山口県)光警察署の警備課の課長と係長が「私どもが身辺をお守りしますから」って来てね。まだ候補者の段階なのに、権力者ってすごいなと思いましたけどね。
テリー それは原田さんが知名度があって、普通の候補者じゃなかったからですよ。これからはどんな人生を歩んでいきたいと思ってるんですか。
原田 今、楽しいのは朗読ですね。あと「桟敷童子」っていう若い劇団が僕を気に入ってくれて、もう3年連続で舞台公演に出演させてもらってるんですよ。そこでずっと芝居ができたらうれしいなと思いますね。ものを作りたいっていう情熱は、今も消えてないですからね。
◆テリーからひと言
原田さんには山口県知事になってほしい気もするけどなぁ。でも、朗読で全国を回って、中高年を元気にしてください。