元女子プロレスラーのマッハ文朱と言えば、1975年、WWWA世界シングル王座に輝くと、赤城マリ子とのタッグでWWWA世界タッグの王座も獲得するといった選手としての強さが印象に残る。しかしながら、プロの歌手としてレコードデビューしており、デビューシングルの「花を咲かそう」は40万枚のヒット。試合後にリングで披露するなど、女子プロレス界に革命を起こした存在だ。
そのマッハが、同じく元女子プロレスラー・ブル中野のYouTubeチャンネル〈ぶるちゃんねるBULLCHANNEL〉に出演。歌手志望だったというマッハ、実はプロレスデビュー2年前の72年、当時13歳の若さで視聴者参加型歌手オーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)の決勝大会まで進出したが、後に大活躍を見せた山口百恵(73年から80年まで活動)さんも同じ決勝大会に出場。山口さんは即時プロデビューを果たしていることから、講演会などでも“勝ったのが山口百恵さんで負けたのがマッハ文朱”という話をよく冒頭するが、厳密にはこれは違うと説明している。同チャンネルの10月5日付け投稿回〈【マッハ文朱さん登場】当時の全女について聞いてみた〉でのこと。
「スタ誕」は勝敗を決めるものではなく、歌唱披露した後、客席のプロダクションスタッフがスカウトに乗り気であれば、プラカードを上げる審査方式なのだとのことだ。そしてこう振り返った。
「誰が1位で誰が2位でってスタイルじゃなくて(中略)私はプラカードが上がらなかったんですよ…」
一瞬目を閉じ、残念そうな表情も見せたが、しかしさすがに昔のことなので、とっくに吹っ切れている様子であった。
その“鬱憤”を晴らすかのような、試合後の「リングで歌唱披露」は山口さんも当時驚いていたのではないか。ビューティ・ペアや、クラッシュギャルズが系譜を継いだ、マッハの功績は大きいと改めて実感させられた。
(ユーチューブライター・所ひで)