ソチ五輪の女子フィギュア日本代表・鈴木明子(28)は、みずから拒食症であったことを告白している。Web「Sankei Biz」の「摂食障害と闘った10年前の夏」には、彼女が摂食障害に陥った模様が生生しく書かれているのだ。
〈身長160センチで体重が48キロだった私は、少しだけ体重を落とそうと思いました。いま振り返れば、食事を制限する中で自己管理への意識が強くなりすぎてしまいました〉
結果、彼女は食事を受け付けない状態に陥り、食べると吐くようになってしまったのだという。
〈「これはやばいな」と思ったときには手遅れなのが、この病気の怖いところです。体重は32キロまで落ちました。脂肪がないので冬でもないのに体は寒気を感じ、血圧を安定させる薬の服用も欠かせなくなりました〉
当時、鈴木は18歳で親元を離れ、環境を変えたばかりだった。実はキム・ヨナもバンクーバー五輪以降、劇的に環境が変化している。五輪担当記者が語る。
「バンクーバーでの金は、当時コーチだったブライアン・オーサーの功績が大きかったのです。彼は勝てるプログラムを作ったばかりでなく、ヨナのコンディションも万全にして送り出しました。ところが、五輪後、オーサーとヨナは突然決裂し、お互いが非難し合う泥仕合になりました」
その後、ヨナはコーチを変更するのだが、11年の世界選手権で安藤美姫(26)に敗れてしまう。そして、11─12シーズンを完全に休養するのだった。
「テレビの司会などもしていましたが、滑る時間がなかったのです。ちょうどこの時期に、韓国は平昌での冬季五輪開催を世界に猛アピールしていました。金メダリストのヨナは、韓国のプレゼンテーターとして世界中を駆け回っていたのです」(前出・五輪担当記者)
結局、ヨナは小学校時代に教わった申恵淑〈シン・ヘスク〉氏を新コーチに迎え再スタートを切った。13年3月にカナダで開かれた世界選手権では、2位に20点以上の大差をつけて圧勝。密告文には、当時のことも書かれていた。
〈ヨナの顔つきを見ていると太りやすい体質のようで、休養していた時期は、ふっくらしている。13年の世界選手権の背中はすでに骨が見えている。この時期から現在までるい痩状態だとすると、低栄養は慢性的なものになっている可能性が高い〉
実は、キム・ヨナの肉体に減量しなければならない問題が発生していたのだ。