高梨の天才ぶりはこれだけにとどまらない。習い事一つとっても、その才能を遺憾なく発揮。中でも、母・千景さんの勧めで4歳から中学2年生まで続けていたバレエは、現在の高梨の躍進の原動力となっている。代名詞となっている直線的な「V字ジャンプ」には欠かせない柔軟性も、この時に培われたものだ。指導に当たった板谷バレエ研究所の板谷敏枝さんが語る。
「バレエを始めた頃の沙羅ちゃんは体が硬くて、バレエシューズを履いて踊るのが苦手でした。お母さんもよく『沙羅は何でこんなに硬いんですかね』とお尋ねになるので、お風呂上がりに開脚運動やストレッチをすることをアドバイスしました。すると沙羅ちゃん自身も、体が硬いせいで周りの子たちと同じ動きができないのが嫌だったんでしょう。家で黙々と努力をしたそうです。毎週どんどん柔らかくなって、1年もしないうちに、前後、左右ともにビタッと脚が開くようになりました」
技術的な面もさることながら、板谷さんにとって印象深かったのが、高梨のバレエに取り組む姿勢だった。板谷さんが続ける。
「沙羅ちゃんの性格は、まず我慢強い。爪先の硬いバレエシューズを履いて踊ると、大人でも足に痛みを感じるものですが、沙羅ちゃんは一度も『痛い』と言ったことがなかったですね。それに、小学生はレッスンの始まる前には皆で鬼ごっこなんかをするもんじゃないですか。でも沙羅ちゃんは鏡の前で、前回習ったことを1人で復習しているんです。発表会の前などは、レッスンのあと、振付に関する質問をどんどんぶつけてきた。『私はこう思うんだけど、先生どう?』という感じでした。あれほど積極的に聞いてくる小学生は他にいませんでしたね。そういう向上心の持ち方が、現在の沙羅ちゃんのイメージとダブりますね」
ジャンプとバレエの両立を続けていた高梨だったが、中学に入るとジャンプの国内大会で優勝するなどメキメキと頭角を現すようになった。バレエの練習はままならなくなり、中学2年生以降はジャンプ一筋。五輪選手となった今でも、板谷バレエ研究所に籍を置いているのは、高梨に感謝の思いがあるからこそだろう。