新選組随一の美男子と言われた佐々木愛次郎は、果たして非業の死を遂げたのだろうか。
近藤勇局長率いる新選組のファンは、老若男女問わず多い。中でも副長の土方歳三や一番組隊長の沖田総司は、いまだに「イケメン」として語り継がれている。土方歳三の場合は写真が現存しており、それを見る限りは色白の美男子といっていいだろう。だが沖田の場合は写真や絵姿は残っておらず「色の浅黒い」「ヒラメのような顔」という記述しかない。それを信じれば、イケメンの部類には入らないだろう。
新選組には歴史小説の大家、子母澤寛が書いた「新選組物語」にもあるように「隊中美男五人衆」と呼ばれる存在があった。その中で随一の美男子とされていたのが、佐々木愛次郎である。佐々木は今でいう大阪、摂津の職人の息子だった。身長はそれほど高くはなかったが、撃剣で鍛え上げた体は引き締まっていたという。色も白く、後に東京・板橋に近藤勇の墓などを建てた二番組隊長の永倉新八も「古今の美男なり」と称したと伝わっている。
この佐々木には、八百屋の娘、あぐりという恋人がいた。相思相愛で人もうらやむ仲だったという。このあぐりに当時の筆頭局長・芹沢鴨が横恋慕し、自分のものにしようとした。これを知った芹沢の取り巻きの佐伯亦三郎が奸計を巡らせ、2人に脱走と駆け落ちをするように入れ知恵をした。
そして仲間と共に2人を待ち伏せて、佐々木を斬殺。享年18だった。佐々木に手込めにされたあぐりは、佐々木の死体のそばで舌を噛み切って死んだという。文久3年(1863年)8月のことだった。
だが、その後の隊士名簿に佐々木の氏名が記載されていたという話がある。また、長州藩の間者だったが、新選組に寝返って長州側に暗殺された説も残っている。平隊士だったため真相は藪の中だが、板橋の新選組隊士慰霊碑にその名前は刻まれていないようだ。
(道嶋慶)