その結果、近藤は千葉で捕まって、板橋で首を斬られた。俺はそこにも行ったから。JR板橋駅の近くにある、ちょっと見ただけじゃわかんないような場所だよ。「こんなところで首斬られちゃったのか」って思うようなところ。あれは「新政府に刃向かうとこうなるぞ」という見せしめで、賊軍のリーダーとして斬首されちゃったんだな。
近藤が首を斬られたあと最後の握りっ屁じゃないけど、土方ら残りの隊士は箱館で最後の決戦に挑もうと、榎本武揚の船に乗って箱館に渡って。六角だっけ? 五角か。五稜郭に立てこもって戦ったわけでしょ。そこで土方は鉄砲の弾2発撃たれて死んじゃった。
ガッツ的にいえば、さっきも言ったけど「死んで花実が咲くものか」っていうのがあるんだから、最後まで戦わないで白旗揚げるだろうね。俺はガキの頃からいろんな経験してるから「こいつらと戦って勝てるか負けるか」ってことがパッと瞬間的にわかるんだな。だからガッツ的精神であれば、負けるとわかってる戦いはしない。ただし自分からは白旗揚げないで「俺は降参しない」ってポーズは取りながらも、部下にうまいこと手を回して「こいつらが『降参してくれ』って頼むもんだから、俺もしかたなく白旗揚げる」って持っていくよね。やっぱり意地っつーもんがあるから、そこは頭使うわ。
しかし新選組を見てわかるけど、どんな組織でも番頭が大事だな。新選組がこれだけ名を残してるのも、近藤を支えた「鬼の副長」の土方がいたから。親方をちゃんと支える番頭がいるかいないかで、組織がうまくいくかどうかが決まるね。
昨今は「ばんとう」じゃなくて「べんとう」が多いから。役に立たない「べんとう」ばっかりだな。親方がまだ弁当食ってないのに、番頭のほうが食ってるっつーんだから、うまくいくわけない。そんな組織はOKじゃなくて「NO(農)場」だ!
偉人を追っかけていくと必ず、これという番頭がいるね。武蔵だって沢庵和尚が番頭みたいな役割で助けてるわけだよ。坂本龍馬にも、お龍さんっていう嫁さんがいたでしょ。
これはガッツ流の雑学だけど、2人が入った温泉っつーのが鹿児島にあって、そこにも行ったことがある。単なる川の横にちょこんとあって、温泉が湧き出てる場所っつーかな。「龍馬はここでお龍さんと一緒に風呂に入ったのか」と物思いにふけった思い出があるね。
それはともかく、近藤にしろ武蔵にしろ、一人の力なんていうのはたかが知れてるってことだな。「人」という字は支え合ってできてるわけで、偉人も一人じゃなれない。支えてくれる誰かが必要なんだよね。
「偉人の陰に番頭あり」。
「べんとう」じゃなくて「ばんとう」。それがガッツ的結論だな。