「桜田門外の変」で暗殺された大老・井伊直弼からラブレターを送られた女スパイ・村山たかは、波瀾万丈の人生を送っていた。
江戸末期、幕府の大老として日米修好通商条約に調印し、日本の開国、近代化を断行した彦根藩第15代藩主の井伊直弼は、巨大な権力を行使して反対勢力を粛清する「安政の大獄」を行った人物だ。この結果、直弼は万延元年(1860年)3月3日、江戸城桜田門外で水戸脱藩浪士ら18名に襲撃され、命を落とした(写真は、井伊直弼の墓がある世田谷・豪徳寺)。これが桜田門外の変である。
この歴史の波に飲み込まれた、ひとりの女性がいた。船橋聖一の小説「花のヒロイン」の主人公・村山たかである。彼女ほど数奇な運命に踊らされた幕末の女性は少ないだろう。
文化七年(1810年)頃、近江・多賀神社の社僧と芸妓の間に生まれたたかは、20歳の頃に京都で自らも芸妓になり、金閣寺の僧侶の子である帯刀を出産したという。その後、帯刀を連れて結婚したが、うまくいかずに離婚。故郷である彦根に戻り、生活を開始した。
そこで出会ったのが25歳の井伊直弼で、たかは30歳の時だった。ふたりの関係は数年続いたが、直弼が大老として江戸常勤となったのをきっかけに、別れたという。
だが、当初はラブラブの関係で、直弼がたかにラブレターを書いたこともあった。そのラブレターは、彦根の井伊美術館に残っている。
当時、部屋住みだったため金が自由にならず、たかの稽古事の費用をすぐに用立てられないおわびや、藩の反対で会えなくなった際の心境などが綴られている。
たかはその後も、直弼に未練タラタラだった。別れた後は直弼の国学の師である長野主膳の恋人となりながらも、直弼のため、スパイになることを決意。得意の芸事を利用して京都にある様々な屋敷に出入りし、反体制派の情報を収集。江戸に送ったという。この情報を元に断行されたのが、安政の大獄だったのだ。
だが直弼の暗殺で、運命は大きく狂った。文久二年(1862年)、尊皇攘夷派の武士に捕縛。本来なら殺されるところだったが、女性ということで真冬の京都・三条河原に三日三晩生きたまま晒されるだけで済んだ。だが、息子の帯刀は代わりに斬殺され、首を晒されている。
たかはその後、金福寺で出家。妙寿尼僧と名乗り、明治九年(1876年)まで生きたという。
(道嶋慶)